川の京都 京の川巡り 第12回 清滝川
京都市内では珍しい自然の状態で流れる川
清滝川は京都市北区大森地区の桟敷ヶ岳(895.9m)から飯森山(791m)へといたる間の谷を水源とし、右京区嵯峨亀山町落合で保津川(桂川)に合流するまで、全長約21kmの一級河川である。京都の水文化に関心を寄せる人々の集まり「カッパ研究会」の世話人、安田勝さんはこう話す。
「清滝川は狭い谷を流れ、谷はところどころで深い断崖を作っていて、護岸、落差工といった人工物も少なく、京都市内の河川ではたいへん珍しい自然の状態を残し続けている川で、川沿いの紅葉や新緑と清滝川が作り出す渓谷美が素晴らしいです」
水源の大森地区から流れ出ると、やや西へ向きを変えながら小野地区へと流れ、国道162号に沿って南に流れる。大森地区と小野地区は「小野郷」と呼ばれ、かつての周山街道は、御室仁和寺から若狭を結び、海産物、農産物、木材などが運ばれ都を支えてきた。現在では「西の鯖街道」とも呼ばれ、京都駅から西日本JRバスの「高雄・京北線」が運行されている。清滝川を訪ねるには、この路線が便利だ。
清滝川は、小野地区から周山街道に沿うように山間を南へ下っていき、やがて中川地区に入る。このあたりは古くから「北山」と呼ばれ、北山杉の主産地である。とりわけ磨き丸太に仕上げて600年もの長きにわたって数寄屋建築を支えてきた。川端康成の『古都』の舞台にもなり、そこには清滝川と北山杉がおりなす情景が描かれている。
山は高くも、そう深くもない。山のいただきにも、ととのって立ちならぶ、杉の幹の一本一本が、見上げられるほどである。数寄屋普請に使われる杉だから、その林相も数寄屋風なながめと言えるだろうか。
ただ、清滝川の両岸の山は急で、狭く谷に落ちている。雨の量が多くて、日のさすことの少ないのが、杉丸太の銘木が育つ、一つの原因ともいう。風も自然にふせげているのだろう。強い風にあたると、新しい年輪のなかのやわらかみから、杉がまがったり、ゆがんだりするらしい。(川端康成『古都』より)
中川地区には材木店や工務店など、北山杉に関係する事業者が並ぶ。また、平成22年(2010)には北山林業の普及、振興を目的にする「京都北山杉の里総合センター」ができた。博物館としての機能も備えた施設である。

11月になると高雄から高山寺あたりへの道は、紅葉のトンネルと化す。

11月に清滝川へ降りると、紅葉の借景も楽しめる。
愛宕山を望む「三尾」は弘法大師空海ゆかりの聖地
さらに下ると、清滝川は愛宕山(924m)の山域を穿つように流れる。西の愛宕山、東の比叡山(848.3m)として京都市のシンボルであり続ける山だ。山頂には全国に約900社ある愛宕神社の総本社が立ち、火伏せの神さまとして親しまれ続けている信仰の山である。大きな山で、前山の奥にそびえる。周山街道に沿う清滝川の流れは、やがて栂尾(とがのお)、槇尾(まきのお)、高雄と続く地域に入る。かつて高雄は高尾と記されたので、この地域は「三尾」(みつのお)と呼ばれる。栂尾山の高山寺、槇尾山の西明寺、そして高尾山の神護寺と、愛宕山の前山に古刹が並ぶ。いずれも真言宗、密教の寺で、紅葉の名所として名高いが、いちばん最初にできたのは神護寺である。
平安京遷都が行なわれる以前、修験道の開祖である役行者が鷹ヶ峰(京都市北区)に鎮座していた愛宕権現を愛宕山に移座して、今の愛宕神社が造られた。そして、周辺の山々に「愛宕五坊」ができ、高雄山にも坊が造営された。それが神護寺の前身のひとつである。ちなみに愛宕山の上部にある月輪寺も愛宕五坊として数えられる寺だ。こうした環境が整ってきた中で桓武天皇による平安遷都の詔が発せられ、平安京造営の最高責任者に平城京の時代から高級官僚だった和気清麻呂が任ぜられた。無事に新しい都が造営された後、和気家の氏寺として建てられた寺が、神護寺のもうひとつの前身である。
平安時代初期、仏教の改革も求められ、その指導者となったのは伝教大師最澄だった。最澄は比叡山延暦寺を開いた後、高雄山の寺も任されて延暦寺と同じように天台宗の道場とした。だが、嵯峨天皇の代になって、真言密教が鎮護国家にもっとも有効だと考えられるようになり弘法大師空海が迎えられた。そして天長元年(824)、ふたつの前身を合わせて真言宗の寺として神護寺が生まれた。空海はここを20年ほど本拠地にした。後に高野山や東寺が空海に与えられなければ、神護寺は真言密教の総本山になっていたに違いない。
空海は唐の長安にある青龍寺で学んだ。帰国の際、この寺の龍女が高雄山に空海の守護のために飛来したという。やがて、龍女は青龍寺から海を渡ってきた神さまだと、サンズイを添えて清滝権現として祀られた。これが清滝川の名の由来である。空海の存命中に高弟のひとりであった智泉大徳が、神護寺の別院、または戒律道場として創建したのが、槇尾山の西明寺の始まりといわれる。ふたつの国の重要文化財に指定される木造仏があり、元禄13年(1700)に再建された総檜造りの本堂、それ以前から立つ客殿がモミジの奥に佇む。一方、栂尾山の高山寺は、もともとは神護寺の子寺だったが荒廃し、鎌倉時代に明恵がそこに入ったことで高山寺として再建されていった。明恵の時代の建物は石水院(国宝)が残る。多くの絵画、転籍、文書を伝えてきた寺としても知られ、中でもとりわけ有名なのは「鳥獣人物戯画」(国宝)だ。また、明恵は栄西禅師に中国土産の茶の種をもらって境内で育てた。これが日本最初の茶栽培といわれ、今も境内に茶園が残っている。

清滝川にかかる高雄橋から山道を10分ほど上っていくと、神護寺がある。

途中に祀られている「硯石」は、弘法大使空海ゆかりの巨石。
川沿いの営みは水の流れでつながり連携し合う
西の高雄は、東の貴船に並ぶ京の奥座敷である。ただ、三尾の入り口に当たる高雄に旅館やホテルが立ち始めたのは、そう古いことではない。明治の中頃からのようで、それ以前は北山杉の造林などを行なっていた山林業の人びとが、古刹の参拝者に料理を出したり、泊めたりはしてはいたものの、それが本業というわけではなかったようである。旅館業が始まると、すぐに保勝会ができて地域で協力しながら三尾の自然と文化を守るようになった。当初、「三尾会」といったが、後に「高雄保勝会」となって今にいたっている。もみぢ家6代目の山本雅人さんは現在、高雄保勝会の会長を務めている。山本さんは、高雄の魅力について次のように語る。「うちは周山街道沿いに本館があって、清滝川の近くまで下りたところに別館があります。やはり高雄は、古いお寺とともに清滝川とモミジの美しさが魅力ですね。秋に紅葉が見頃となるのは11月上旬。京都市内中心部よりかなり早いです。貴船川と同じように清滝川にも川床があります。貴船のように川の流れの上に床を仕立てることはできません。清滝川まで急な崖になっているので、崖を石積みで補強して、それを基礎に床を置いて屋根をかけています。高雄の旅館は川とともにありますので、川の流れには自然に気がいくようになっています。大雨で水位が上昇して、川床まで浸水したこともありますし、普段は流れてこないものが流れてくると、上流の様子が気になって見に行くこともあります。清滝川は保津川に合流して嵐山へ流れていきます。雨が降ると、嵐山の旅館さんに電話をして様子を伝えるんですよ。みんな川でつながっているんです」
高雄保勝会では、京都市建設局と協力して共同清掃も行なっている。そうした地道な取り組みが功を奏して清滝川の清流は維持され、国の天然記念物に指定されている「清滝川のゲンジボタル」が毎年美しい光を川辺に灯す。紅葉だけではないのだ。ゲンジボタルは6月に入ると舞い始め、だいたい1か月ほど舞い続けるという。日の長い6月だから、光の盛りは8時頃からで、その時間になると、旅館では川床の灯りを消すそうだ。

この界隈は岩盤が多く、「もみぢ家別館 川の庵」内部にも巨石がそのまま使われている。

淵のあるところでは、水の透明度もよくわかる。
高雄から保津川との合流点まで川沿いを歩く
旅館が並ぶあたりから下流へ伸びる車道は、やがて未舗装の林道となり、次第に道幅が狭くなっていく。東海自然歩道の一部として整備されたハイキング・ロードである。高雄に宿泊する外国人旅行者には、その存在を知る人が少なくないという。「バック・ローズ(back roads)」といって、名所や旧跡の裏道、都市部の路地などをすすんで歩こうという旅行文化があり、その中でも京都では珍しい川沿いの渓谷美を間近に見ながらの道は、通好みのようだ。川の流れと同じ方向に進むのだから、道は下っているはずである。だが、歩いてみると下りを感じないくらいの傾斜の場所が多い。一部に北山杉が育てられている森があり、また、一か所対岸に渡らないといけばない場所がある。そこに架かるのは人ひとりが通れる幅の沈下橋だ。

清滝川沿いの道は整備されていて、歩きやすい。

北山杉の並木道は、撮影スポットにもなっている。

高雄橋から30分ほど川沿いに下って行くと、沈下橋に出合う。
前出のカッパ研究会の安田さんは、「川の案内人」として、主に京都市内の琵琶湖疏水や川沿いを歩く小旅行をガイドする。安田さんは清滝川について次のように語る。
「清滝川にはふたつの水力発電施設があります。ともに、堰を作って取水し、山腹水路で発電所まで導水しています。上流の栂尾発電所は大正11年(1922)、下流の清滝発電所は明治42年(1909)に運用開始になりました。清滝川では珍しい人工的な施設ですが、どちらも100年以上たっていて産業遺産といっていいくらいです。川沿いを歩くとき、こうした川と人の暮らしの歴史を感じさせる構造物は見逃せません。水がなければ人は生きていけず、川を利用してきました。昔はこうした利用があったのか、という発見が醍醐味です」
清滝発電所に近付くと、そう険しくはないものの大きめの岩が目立ち始める。「錦雲渓」と呼ばれる渓谷だ。これを過ぎると清滝に着く。高雄から約3.7km。愛宕山の登山口の宿場として開かれた清滝には、嵐山方面からの京都バスが通じている。清滝で折り返し運転だ。
清滝から下流にも川沿いにハイキング・ロードは伸びる。保津川との合流点の落合まで約1.6kmである。ただ、落合まで歩いてしまうと、保津川沿いをさらに3kmほど歩いてJR保津峡駅まで行くか、六丁峠を上り下りして鳥居本まで行って京都バスに乗るかしか、帰りの公共交通にアクセスできない。安田さんは、高雄〜清滝または、高尾~清滝〜落合〜JR保津峡駅の2種類のコースを勧める。
清滝から下流は、清滝川の作る渓谷がより深くなる。こちらは「金鈴峡」という名が付けられている。そこを過ぎると川の流れは緩やかさを取り戻し、やがて落合に着く。ここに架かるのも沈下橋で、落合沈下橋という。この先で清滝川は保津川に合流する。京都市西北の「バック・ロード」である清滝川沿いのハイキング・ロードは、川を歩く旅の醍醐味を手軽に楽しめる道であり、また愛宕山山系の自然を存分に楽しめる道である。

清滝発電所の近くになると、流れも穏やかになり川幅も広がる。

清滝発電所付近にある案内版。清滝から高雄までの道は、東海自然歩道の一部だ。
主要参考文献/梅原猛著『京都発見』7「空海と真言密教」(新潮社)、河野仁昭著『京の川〜文学と歴史を歩く』(白川書院)