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幽斎率いる籠城で関ヶ原の戦いは東軍優位に
戦国時代、織田信長の命により、丹後を平定した細川藤孝(幽斎)が、田辺の地に新しく築いたのが田辺城です。全国の大名が東軍・徳川家康方と、西軍・石田三成方に分かれて戦った関ヶ原の合戦のおよそ2か月前に起こったのが、田辺城での籠城戦でした。徳川方についた細川忠興制圧をめざし、西軍が1万5000もの軍勢で田辺城に攻め込みます。この時、忠興は東軍の会津攻めに参加していて不在。細川軍は、忠興の父・幽斎率いるわずか500人の軍勢で迎え撃たねばなりませんでした。この圧倒的不利の状況で幽斎がとった戦術は「籠城」でしたが、落城寸前にまで追い込まれます。しかし、田辺城制圧に参加していた西軍の諸将の中には、幽斎を歌道の師として崇拝する者が少なくなく、城を攻め落とすことにためらいがありました。そこへ、歌道の達人である幽斎の討死を憂慮した後陽成天皇の勅命が届けられます。天皇の勅命とあって西軍は直ちに包囲を解き、およそ1か月半にわたる籠城が幕を下ろしました。現在、田辺城の本丸跡は公園になっており、平成4(1992)年には城門が完成。城門内にある田辺城資料館では、歴代城主や城下町・田辺の歴史を紹介しています。また、彰古館では、「糸井文庫」の錦絵資料を展示しています。
住所 | 舞鶴市南田辺15-22 |
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お問い合わせ | 0773-76-7211(田辺城資料館) |
交通 | JR山陰本線・KTR宮津線【西舞鶴】駅下車 徒歩5分 |
プリプリ感いっぱいの夏限定の味覚
舞鶴特産の夏が旬の岩がきに舞鶴かまぼこを加えた夏のグルメが舞鶴岩がき丼です。アミノ酸やミネラル類が豊富で、濃厚でクリーミーなのが舞鶴岩がきの魅力。(1)「舞鶴産の岩がき」と「舞鶴かまぼこ」を使い、(2)岩がきの「プリプリ」感を損なわず、(3)おいしくてまた食べたくなることの3つの条件を満たしたどんぶりを市内の和食店やレストランが思い思いのスタイルで開発しました。岩がきがとれる6-8月限定の舞鶴の味覚です。冬場はかき丼が楽しめます。
旧海軍の建物がシックな公共施設に変身
舞鶴港ウォーターフロント(旧海軍舞鶴鎮守府一帯)にある12棟の舞鶴赤レンガ倉庫群のうち、8棟が平成20(2008)年6月に国の重要文化財に指定されました。これらは海軍の舞鶴鎮守府が置かれた明治、大正時代に旧日本海軍によって建てられた赤煉瓦造りの建築物です。明治36(1903)年に建てられた日本最古級の鉄骨れんが造りである旧海軍兵器廠魚形水雷庫は、現在は「赤れんが博物館」として活用されています。また、明治35(1902)年に建設された旧海軍兵器廠予備艦兵器庫は、「舞鶴市政記念館」、旧海軍兵器廠弾丸庫並小銃庫は、「まいづる智恵蔵」としてリニューアルオープンしました。
住所 | 舞鶴市北吸1039-2 |
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お問い合わせ | 0773-66-1096 |
交通 | JR舞鶴線【東舞鶴】駅下車 徒歩約15分 |
室町時代に創建された異国情緒あふれる寺
桂林寺は曹洞宗中本山の禅寺で、室町時代に竺翁雄仙によって創建されました。田辺城籠城の際、桂林寺の僧侶・大渓和尚は、幽斎の長年にわたる恩顧に応えるべく、弟子14人を引き連れ、決死の覚悟で幽斎の軍に志願します。のちにこの勲功に対し、忠興は、仏涅槃図や梵鐘を贈りました。中国の文化に影響を受けた諸堂が立ち並ぶ境内は、異国情緒にあふれ、魅力的です。
住所 | 舞鶴市紺屋69 |
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お問い合わせ | 0773-75-0168 |
交通 | JR舞鶴線・KTR宮津線【西舞鶴】駅下車 徒歩約10分 |
三島由紀夫の小説の舞台にもなった名刹
平安時代初頭に高岳親王によって開かれ、白河天皇が中興したと伝えられる金剛院は、関西花の寺第三番札所。三重塔、本堂、雲山閣などが周囲の景観と溶けあって、訪れる人たちの心を引きつけます。春の新緑や冬の雪景色はもちろん、燃えるような紅葉につつまれた姿は見事で、小説「金閣寺」にも美しく描写されています。三重塔は、重要文化財に指定されているほか、多くの文化財も収蔵しています。中でも深沙大将立像は、鎌倉時代の名仏師快慶の代表的な名品です。境内にある鶴亀の庭は細川幽斎の作庭とされています。
住所 | 舞鶴市鹿原595 |
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お問い合わせ | 0773-62-1180 |
交通 | JR舞鶴線【東舞鶴】駅から京都交通バスで約15分[鹿原]下車 徒歩10分 JR小浜線【松尾寺】駅下車 徒歩20分 |