京の川巡り 第5回 川と鉄道(後編・丹鉄・宮福線沿線)
川に輸送を頼ってきた人々の悲願だった鉄道の開通
由良川は流域面積が京都府の約4分の1を占める大河だ。大河の河口には大都市が築かれることが多いが、由良川の河口には築かれなかった。また、南丹市から西流して中流域の福知山市の市街地に遠くない地点で土師川(はぜがわ)、牧川と合流し、ほぼ直角に屈曲して北西へ流れてゆく。由良川はU字を真横にしたような大屈曲河川としても珍しさを際立たせている。
大河はかつて舟運によって人、物、そして文化を運ぶ“道”だった。由良川も例外ではない。流域には今でも「津」の字を充てる地名がちらほら残っている。その多くが、かつて川港があったところであるという。それでも、近代になって人流、物流が川から離れていった。自動車道路より前に近代的流通の花形となったのは鉄道だった。由良川の中流で一大流通拠点だったのは福知山である。軍港として拓かれた舞鶴、宮津方面ではモリブデンや黄銅鉱鉱山を有した河守(こうもり)が、元号が昭和にならないうちに鉄道で結ばれた。さらに古くから商港として栄えた宮津も舞鶴とつながり、さらに丹後地方を西へ延びていった。しかし、河守から宮津までの開通は遅れに遅れたのである。こうして、宮津から福知山へ直通する鉄道の開通は地域住民の悲願となっていった。

三河橋から見た由良川。中流域といっても川幅は広い。

初期の河守駅。「大江町発足50周年記念誌」より。
鉄道開通を遅らせた由良川のもうひとつの顔
「河守」という地は現在の福知山市大江町で、鉄道は京都丹後鉄道として運行され、駅名は「大江」になった。福知山を過ぎて宮津に至るまでの区間で、現在唯一の有人駅だ。簡易委託駅のひとつで、改札ほか売店などは地元事業者によって運営され、市町村合併の前は駅舎の隣の建物に大江町役場があり、現在は福知山市役所大江支所となっている。いかに鉄道と駅が町の中心だったかがわかる。大江まちづくり住民協議会の事務所が大江支所の横の建物にある。事務局長の佐藤秀樹さんに話を聞いた。
「福知山から北へ向かう鉄道は由良川に沿っています。河守という駅名だった頃は、今の路線より川の近くを走っていましたが、由良川がたびたび氾濫したため、現在はトンネルの多い山側を走っています。舟運を支え、また川漁師が魚介を獲って暮らしを支える恵みの川でもありますが、ひとたび大雨となれば暴れ川になります。そんな二つの顔を持つのが由良川ですから、鉄道もたびたび洪水の被害を受けてきました。それでも、なんとか宮津と福知山を鉄道で結ぼうという思いは途絶えず、昭和41年(1966)、ついに宮津側から延伸工事が着工したんです。ところが長年栄えた河守鉱山が閉山となり、延伸工事は中止され、福知山・河守間も昭和46年(1971)には運行休止になってしまいました」

運行休止の最終日には地元の人が詰めかけた。写真:福知山市役所大江支所
まったく、宮津と福知山の鉄道は数奇な歴史をたどったものである。特筆すべきは、鉄道の工事も運行もすべて地元で会社を設立して行った点だ。当時、北丹鉄道と呼ばれた鉄道は私鉄だったのである。驚かされるのは、物流の花形が自動車に移り始めても、再開を望む地域住民の声が消えなかったことだ。そして、運行休止から11年後の昭和57年(1982)に新しい鉄道会社が設立され延伸工事も再開し、6年の歳月を経てついに宮津と福知山が全長30.4kmの鉄道で結ばれた。新会社は宮福鉄道、翌年から北近畿タンゴ鉄道。全国で23番目、京都府では初めての第3セクターである。この再開のときに大江駅の周辺は盛り土され、かつてより高い位置になった。由良川の洪水を避ける工夫だ。

ひとたび川が氾濫すると、町は水に沈んだ。「大江町発足50周年記念誌」より。
宮川に沿って神話の世界へ伸びてゆく
かつての河守駅、現在の大江駅と宮津駅までの鉄道開通が遅れたのは、その間に大江山が横たわりトンネルの掘削が必要だったからでもある。大江山はひとつの山を指すのではない。標高832.5mの千丈ケ嶽(せんじょうがたけ)を最高峰に鍋塚、鳩ケ峰、赤石ケ岳と続く連山を総称して大江山と呼ぶ。山腹には貴重なブナの原生林を有する豊かな森が広がり、神話、伝説が多く残る山としても知られている。とりわけ大江山の鬼伝説は全国に知られ、大江の地を「鬼の里」と言わしめるまでになっている。「鬼」の字を冠したそばが名物だ。
大江駅からほど近い、国道175号沿いにある『食堂 大江山』に入った。品目を書いた札がずらりと並び、この日は季節の品が大きめの紙に手書きで記されていた。テナガエビである。下流部から海水が入り込む汽水域に棲む淡水性のエビでは大型のものだ。店を切り盛りする女性に聞けば、由良川でもとくに大江から河口あたりに多く、流域には川漁をされている方々も健在で、獲れると直接店に卸してくれるのだという。素揚げにされ、やや硬い外皮は香ばしく、また身はプリプリとしていて淡白な味である。恵みの川として由良川の味は、黒い「鬼そば」にも合う。

大江駅前には象徴的な鬼瓦がいくつも並ぶ。

シンプルに素揚げされたテナガエビ。夏季に提供される。
由良川の川漁とともに、駅名にもなった河守という地名も健在だ。町内の集落の名で、その由来は『古事記』にまで遡る。この地で古代ヤマト王権の皇子が抵抗勢力の土蜘蛛と戦った際、川を守ったことから地名となった。
そんな大江の地から宮福線は由良川から離れ、支流の宮川に沿って伸びていく。大江駅から北へ3つ目に大江山口内宮駅がある。「内宮」とつくのは元伊勢内宮皇大神社が鎮座する地だからである。由緒によれば、ここの起源も『古事記』にある。この書には神々の誕生から始まり、さらに神武天皇から始まる古代ヤマト王権の歴史が記されている。しかし、考古学的な証拠が出ていないことから、初期の天皇は実際に存在したかどうか今もって断言できない。実在した最初の天皇は第10代の崇神天皇ではないかとする説がある。この崇神天皇は、宮中に祀られていた天照大御神の御神鏡を他所に遷座させることにした。やがて現在の伊勢神宮に鎮座することになるのだが、伊勢に決まるまでの間に各地で一時的に鎮座させた。そのうちのひとつが大江山の麓で、伊勢の元になった神社の由緒から皇大神社は「元伊勢」を冠されるようになったのである。

宮福線の二俣駅から大江山口内宮駅の間で、車窓から宮川を望む。

大江山口内宮駅のホーム。無人駅だが、そばに元伊勢観光センターがある。
古代史の聖地と深い縁で結ばれる宮川の清流
大江山口内宮駅から元伊勢皇大神社へは、徒歩約15分。昔ながらの集落の一角を抜けていく。いい風合いに古びた木造建築が並んだ先に参道の石段がある。全部で220段。シイを中心にした照葉樹林の中、結構な山登りとなる。登りきると皮のついたままのスギで造られた珍しい黒木の鳥居が現れ、その奥が茅葺神明造り(かやぶきしんめいづくり)の本殿である。半分焼け焦げた跡のあるスギの巨木が目を見張る。この御神木の推定樹齢は2000年だという。宮司は他所の神社と兼務して常時いるわけではない。それでは日々の社務が疎かになるため、下の集落の出身である田中眞澄さんは、市役所勤めから転じて神職の資格を取って禰宜になった。「誰かがやらなければいけませんから」と控えめ。一方、たいへんな郷土史研究家の赤松武司さんは環境省自然公園指導員でもある。地元の人により神社が守られ、郷土史と自然に詳しい案内人が地元にいるのだ。大江は旅人には心強い地である。赤松さんはこう話す。
「北丹鉄道が運行休止になって参詣者が年間3000人程度にまでに減りました。その後に鉄道が再開され、今では年間10万人以上の参詣者を迎えています。境内の近くには天孫降臨の山とされる日室ヶ嶽(岩戸山)があります。ここは聖なる山として現在でも入山が禁止されています。麓の五十鈴川渓谷にある天岩戸神社までは訪ねていただけます。なぜ、この地に天照大御神を鎮座させようとしたのかを、出土する考古学資料をもとに考えると、稲作の起源に関係するという説が有力です。大陸から稲作の技術をもって渡来した初期の弥生人が移り住んで、稲作を成功させた地のひとつが、ここだったのでしょう。その弥生人がヤマト王権を成立させ、天皇の祖先神を祀る地は初期の稲作成功地としたというのは無理のない推察に思えます。稲作には氾濫を繰り返す大河流域より支流の細い流れのほうが向いています。由良川よりも宮川が適していたのは間違いありません」

元伊勢内宮皇大神社。本殿のそばには樹齢2000年と伝えられるご神木もある。

日室ヶ嶽遙拝所。夏至の日に遥拝所から拝むと、太陽が頂上に沈むという。
現在、宮福線は京都丹後鉄道としてWILLER TRAINS株式会社が運行業務を行なっている。地元の人々の日常の足となる各駅停車のほか、クラシックな設えの観光列車「丹後くろまつ号」も運行され、周辺の散策ができるよう大江駅には35分ほど停車するダイヤもある。少し歩けば人と川のつながりに気がつく逸話に出くわすだろう。
水害の少ない宮川にはのどかな佇まいが点々とある。また、たとえ数十年に一度は暴れ川に変貌しようとも人は由良川から離れようとしない。福知山あたりでは古くから高さ約10mの堤防を築き、それでも備えは足りず人々は独特の木造町屋建築を造った。3階建てで最上階は家財道具の中でも大切なものの置き場とし、1・2階の天井に穴を開け、かつ3階の天井に滑車を設置するというものである。いざ川の水があふれ出て浸水してきたら、滑車を使って下の荷物を上の階へ上げ、さらに水かさが増えれば天窓から屋根に上がって浸水から逃れるのだ。京都府北部へ鉄道を使って旅すると、人間は工夫し古くから川とともに暮らし続けてきたことを実感できるはずである。

水の透明度も高く美しい宮川を、二俣駅前の橋から望む。
取材協力/福知山市市民生活部大江支所、大江まちづくり住民協議会、元伊勢内宮皇大神社、WILLER TRAINS(京都丹後鉄道) 主な参考文献/『大江伝〜新市移行記念誌』(大江町総務企画課)