岩船寺
天平元年(729)に聖武天皇の勅願で建立されたと伝えられる。深い緑につつまれるように立つ三重塔や古色を秘めてたたずむ本堂の風景からは、山寺の風情が感じられる。山門の入り口には、船のかたちをした岩...
天平元年(729)に聖武天皇の勅願で建立されたと伝えられる。深い緑につつまれるように立つ三重塔や古色を秘めてたたずむ本堂の風景からは、山寺の風情が感じられる。山門の入り口には、船のかたちをした岩...
天井が開閉する全天候型の市民プール。25mプール×7コースと深さ60センチメートルの幼児用プール、更衣室、観覧席、採暖室が整備、また水温は30度に保たれている。また、子供から大人までの水泳教室を...
人形が大ぶりであること、一体の人形を一人で操ることを特徴とする和知人形浄瑠璃。江戸時代末期に大迫で起こったと伝えられ、人形のかしらの中には、名工・阿波の「天狗屋久吉」(天狗久)の作がある。昭和6...
春は山菜、夏は鮎、秋は松茸、冬は牡丹鍋、京丹波の食材を使った四季折々のお料理を囲炉裏を囲んで楽しめる宿です。
本堂は仙洞御所の一部を移したもので、古くから皇室との関係が深い寺。源氏物語の作者、紫式部の邸宅跡ともいわれ、それにちなんで昭和40年(1965)には源氏の庭がつくられた。しっとりとした苔庭は、雅...
「明神さん」で親しまれている向日神社は、奈良時代、養老2年(718)創建。室町時代に造営された本殿が国の重要文化財に指定されているほか、境内の多くの建物も国の登録有形文化財に指定されている。 境...
〈坐禅・法話〉連絡により随時実施。法話。(約40分)定員/50名まで(要予約)坐禅は7月~9月まで電話にて受付。定員/10名まで(要予約)※健脚向き
〈品種〉アユ、アマゴ、マス
日本海を一望する牧草地に牛・羊・山羊などが放牧されている牧場を中心にステーキハウスがある。
音楽、演劇、芸能、映画等の上演、上映。乙訓地域の文化振興の拠点。定員/ホール 1,000名
伊根町訪問時に町内指定の場所で利用登録をすると、希望した時間に車が迎えに来て、目的地へと送迎する乗合タクシーです。 伊根町観光案内所・伊根町内宿泊施設・飲食店等の観光関連施設にて掲示されている専...
もみぢ家は本館の高雄山荘、別館川の庵とがあり、京都市内よりタクシーで30分のところ。春は桜と山つつじ、夏季は3~5度位涼しい川床での昼食・夕食が人気があり有名。特に6月上旬から7月上旬にかけては...
京都の中心地、地下鉄烏丸線「四条」駅のすぐそば に、「室町本店」がございます。本店の建物はもともと呉服屋さんで、1981年に前田珈琲の本店として開店し、約100席を有する大型店舗としてお客様をお...
京都産業大学は、昭和40年(1965)、宇宙物理学者・荒木俊馬によって京都・神山の地に創建されました。京都産業大学の附属博物館であるギャラリーは、平成24年(2012)にむすびわざ館の2階に設置...
花や鳥を題材とした作品を中心に、ドイツの名窯マイセン磁器と花鳥画の第一人者・上村淳之画伯の作品を展示。洋の東西を越えた花と鳥が織りなす美しく愛らしい世界を心ゆくまで楽しめる。
幕末から明治時代にかけての金工・漆工・七宝・京薩摩などの美術品を展示する。1階では常時展示、2階では企画展示を行っており、企画展示は3ヵ月ごとにテーマを変えて開催している。海外から里帰りした作品...
泉涌寺塔頭。本尊の阿弥陀如来坐像と二十五菩薩坐像はともに藤原時代の作。とくに菩薩像は弥陀来迎の歓喜の姿をしており、秋の二十五菩薩練供養(毎年10月第3日曜日)には多くの参拝者でにぎわう。また本堂...
深草うちわや京丸うちわ、その他様々な京うちわや扇子、工芸品を取り揃えております。是非岡崎散策や観光の合間にお立ち寄りください。 〈深草うちわ〉伏見・深草は当時、公家の別荘地で周りには上質な真竹の...
NPOの市民グループが運営する、環境学習活動を目的に建てられた施設。ギャラリーでは、「森はともだち」をテーマに、大文字山周辺の生きものに関する展示を行い、身近な自然の魅力を紹介している。ミニショ...
夏は日帰りバーベキューや、川遊び、魚つかみ、流しそうめん、冬は雪遊びもできる施設です。「Cafeどばんじぃ」は通年営業しています。その他、常設でボール遊びやハンモック、毎月第2土曜日はトランポリ...
国の登録有形文化財の順正書院や清雅な庭園を眺めながら、ゆどうふや引き上げゆばに舌鼓。
洛中の中心にあり、数寄屋造りの純和風建築と遠州好みの美しい庭園で古都の静けさを味わえる、天ぷらで有名な料理旅館。カウンター(8席)の他に、庭を眺めながら座敷(8部屋80席)でも食べられる。
お米「ヒノヒカリ」、野菜、果物、切り花、観葉植物、漬物、もちなど、約170種類の久御山産の農作物及び加工食品を販売。
中世の戦乱を象徴する山城遺構で、平野部を阿蘇海に向けて突き出た標高50mの丘陵上にある。この城は、丹後一色氏の没落の際、最後の攻防がくり広げられた場所で、戦国時代の丹後における代表的な山城のひとつ。