永楽屋本店
佃煮と和菓子を扱う老舗。佃煮では「一と口椎茸」、「茸くらべ」、「ちりめん山椒」、「京のおぶみそ」、和菓子では繊細で美しい「琥珀 柚子」が人気。からいもの(佃煮)とあまいもの(和菓子)の両方が揃い...
佃煮と和菓子を扱う老舗。佃煮では「一と口椎茸」、「茸くらべ」、「ちりめん山椒」、「京のおぶみそ」、和菓子では繊細で美しい「琥珀 柚子」が人気。からいもの(佃煮)とあまいもの(和菓子)の両方が揃い...
平安期創建の善入寺に始まる。境内には、室町幕府の二代将軍足利義詮と南朝の武将楠正行(正成の子)の両者の墓が並んで建っている。四季折々の花が咲く庭園は美しく、秋の紅葉は見事。
京都に伝承されてきた様々な工芸技術を背景に、生活に潤いや安らぎをもたらす新しい「和」の工芸品販売を行っている。
明治26年(1893)創業。豊臣秀吉の邸宅・聚楽第の跡地にある造り酒屋。伝統ある酒造りを継承しつつ積極的に新しい技術も取り入れている。 代表銘柄「聚楽第 純米大吟醸」〈精米歩合〉40%〈主な使用...
重要文化財の本殿は、室町時代中期ごろの建築。朱塗りの一間社流造で屋根は檜皮葺、正面格子戸の上に唐草模様の透彫を配した華やかな外観が特徴。旧久世村の産土神。境内には国の史跡である久世廃寺跡もあり、...
料理自慢の風格ある日本の宿。創業は享保年間。丹後宮津に残る老舗の宿として、その建築美とともに多くの方々に愛されている。数寄屋造り、茶室造り、書院造りと客室それぞれに異なった風情と趣をこらしたゆと...
奈良時代(天平勝宝8年)創建といわれ、かつては高雄の神護寺の末寺として栄えた。毎年8月16日に奉納される六斎念仏踊りは府の無形民俗文化財に指定されている。丹波の名彫物師・中井権次作の龍の欄間は見...
平成12年(2000)5月の火災で母屋と納屋が焼失したが平成14年(2002)秋に再建・復元された。約200年前の中層農家住宅の形を残した建物で、主屋を中心に納屋、倉の3棟で家を構えている。展示...
久美浜町の東方、静かな山間に建つ。本堂の右手には、新しい収蔵庫があり、回廊でつながっている。正面3間、側面4間、宝形造り、銅板かやぶきの本堂は、桃山期の作風を残している。収蔵庫内の用明天皇の皇子...
標高661m、頂上へ続く1,010段を登り切るのが、磯砂山登山の醍醐味。羽衣伝説の舞台となった山で、2つの登山コースがある。途中、天女が水浴びをしたと伝えられる「女池」が、また山頂には「天女のモ...
うっそうとした木々の中に、あざやかな朱色の鳥居が見える。その奥にたたずむ春日神社は、奈良の春日大社の分社として創建されたとも、若宮社殿を移したとも伝えられている。さまざまな謎を秘めた本殿は、南北...
江戸中期の建物で国の重要文化財。入母屋造りのかやぶき約120平方メートルの広さ。府内でも最古に属する民家でほとんど修理の手が加えられておらず、往時の暮らしがしのばれるものとなっている。
「山崎の聖天さん」と人々から厚い信仰を受けている寺。境内にある建物は禁門の変の余波で焼亡し、今日見る建物は明治になって再建されたもの。 桜と紅葉の名所で、境内東側には昭和初期に植えられた桜が多くある。
福寿園CHA遊学パークは、世界の人々に愛され親しまれ続ける茶とお茶の文化に、より深くかかわり親しんでいただける場所です。緑豊かな茶園と各種お茶の体験、施設見学をお楽しみください。【体験例】石臼体...
享保元年(1716)の創業以来うなぎやすっぽんなどの川魚料理を得意とする。
京都吉兆 嵐山本店では、茶懐石に基本をおいたコース料理をご用意しております。茶懐石とは、正式な茶事を催す際、招いた客に喜んでいただくため、旬のものを最も美味しく、品良く、順序良くお出しし、心を尽...
築100年近い町家の「離れ」や「蔵」を利用した個室や、厨房に面したカウンターがおもしろい、和スイーツと創作ごはんのカフェ。
オルゴール文化と「からくり」が体感できるコレクションギャラリー
京友禅の最終工程を担う工場ならではの染色技術「しごき染」が体験できる。一般的な染色体験とは異なり、実際に着物に使用されるシルク100%の白生地を用い、職人の指導のもと本格的な染色工程に触れられる...
伝統文化の念珠作りや匂袋作り(香料を調合)をはじめ、ブレスレット作り、バッグチャーム作りの体験をしています。お子様(小学生)から気軽にご参加いただけます。ご家族やお友達との京都旅行におすすめな手...
300年の歴史あるお蕎麦屋さん。「芳香炉(ほうこうろ」が名物。
小動物とふれあうことができるほか、地元の農産物を使用した料理を提供するふれあい食堂「ハイジのキッチン」がある。
渡来仏の釈迦誕生仏や藤原時代の十一面観音像やなど笠置寺の収蔵品を展示している。
中世の戦乱を象徴する山城遺構で、平野部を阿蘇海に向けて突き出た標高50mの丘陵上にある。この城は、丹後一色氏の没落の際、最後の攻防がくり広げられた場所で、戦国時代の丹後における代表的な山城のひとつ。