出雲大社与謝分祠
鮮やかな朱塗りの柱が印象的な貴宝殿に祀られているのは、縁結びの神、大国主大神。万霊がよみがえり、長寿が約束されるとあって、全国各地からの参拝者でにぎわっている。もうひとつの祭神は、切り開いた山自...
鮮やかな朱塗りの柱が印象的な貴宝殿に祀られているのは、縁結びの神、大国主大神。万霊がよみがえり、長寿が約束されるとあって、全国各地からの参拝者でにぎわっている。もうひとつの祭神は、切り開いた山自...
石台に乗り股の間からのぞく股のぞきで有名。股のぞき発祥の地ともいわれる。ケーブルカーまたはリフトで登る。天橋立が地上から天に右上がりにかかっているように見えるという美しさは何とも神秘的で、天橋立...
相国寺塔頭。作家水上勉氏が9歳~13歳まで雛僧としてここで修行し、その体験をもとに小説「雁の寺」を著したことで知られている。本堂の御本尊は6代将軍足利義教が寄進した平安時代の木像仏で、雲上来迎の...
井筒八ッ橋の手焼き体験が出来る。「八ッ橋手焼き体験」は1回2名~15名で、所要時間は約60分。(人数によって異なります。)要予約(予約受付10時~19時)
バラモン教から伝わり、日本の佛教音楽の元となった声明(しょうみょう)の発祥の地といわれている。 〈宿坊〉おつとめ、法話は自由参加。希望により写経(納経料1,000円)有り。定員/約10人(要予約...
東山三十六峰と鴨川を眺めながら食事ができる。
元和年間(1615~1624)、京都に公許された7つの櫓の伝統を継承している唯一の劇場で、国の登録有形文化財に指定されています。毎年、師走の歌舞伎公演「吉例顔見世興行」は京の年中行事のひとつとし...
重要文化財の本殿は、室町時代中期ごろの建築。朱塗りの一間社流造で屋根は檜皮葺、正面格子戸の上に唐草模様の透彫を配した華やかな外観が特徴。旧久世村の産土神。境内には国の史跡である久世廃寺跡もあり、...
城陽市から宇治市にまたがる丘陵や平野につくられた約150基の大規模な古墳群。久津川車古墳、丸塚古墳、芭蕉塚古墳、久世小学校古墳が国の史跡に指定されている。久津川車塚古墳は山城地域最大級の古墳で、...
天王山の山麓、宝積寺のすぐ下にある。中世末に当地の井尻長助が知恩院の徳誉光然を開山に招いて建立した浄土宗の寺。重要文化財に指定されている木造阿弥陀如来立像は鎌倉時代の作。厳かな雰囲気が漂う。
気軽に普茶料理をという方には萬福寺門前の白雲庵がおすすめ。 ※前日17時までの完全予約制
山崎の合戦時に秀吉が大旗を掲げた松・旗立松や酒解神社などいろいろな史跡を見ることができる。また桂川・宇治川・木津川が合流して淀川になる様子が一望できるポイントも見逃せない。天王山山ろくにある宝積...
洞窟探検とアウトドアが楽しめる公園。質志鐘乳洞は京都府唯一の鍾乳洞で昭和2年(1927)に発見された。総延長52.5mのたて穴。洞内は4つの部分からなっており、高低差が大きく、洞窟が曲がりくねっ...
宿泊プランのほか、京会席・バーベキューなど食事付きの日帰りプランや、入浴のみのプランも充実している。料亭さくらや宴会場では季節感に富んだ京料理がいただけ、京の奥座敷の魅力を堪能できる。毎年夏に登...
世界遺産である天龍寺の庭園内にある龍門亭にて、篩月謹製の厳選された新鮮な四季折々の素材を使った精進料理が味わえる。
明治20年(1887年)創業、美術印刷の便利堂の店舗。美術商品や名品・名作の絵はがき、日本で唯一のカラーコロタイプ印刷のポートフォリオなどを取り揃えている。
角屋は揚屋建築唯一の遺構で、京の六大花街の中で最も古い歴史をもつ島原にあって、江戸文化の華やかさを今に伝えている。(重要文化財)美術館では与謝蕪村のふすま絵などの美術品を随時展示、公開している。...
全国唯一の繭人形専門店。
JR京都駅から徒歩約2分。京都に現存するホテルとして3番目に古く、95年以上の歴史をもつノスタルジックなホテル。安らぎと快適さを追求する全218室の客室や、 館内には朝昼夜で多彩なメニューが楽し...
お線香の製造工程の見学。伝統の技に最新の技術を融合させた香場を紹介する。 所要時間/約60分定員/最大収容数 約30名(希望日の1ヶ月前までに電話にて要予約)※問い合せ先 TEL.075-212...
天明8年(1788)創業。230年以上もの間、人々の舌を魅了してやまないのが創業当時より守り継がれるコクのある白いスープが自慢の鶏の水炊き。5月~9月までの間、京の夏の風物詩、川床もある。平成1...
よもぎ、どくだみ、米ぬか、オリーブ、ラベンダーなどの薬草を使ったお風呂が週替りで2種類ずつ楽しめる。その他、バイブラバス、ジェットバス、漢方の湯、電気風呂、サウナなどもある。
一乗寺下り松はその昔、宮本武蔵が吉岡一門と決闘を演じたところといわれている。しかし今では民家が密集し、当時のことを記した「宮本・吉岡決闘之地」と刻まれた石碑のみが残る。