
白碗竹カイ樓
京の風情を感じる新橋通に建つ元お茶屋を改装した中国料理店。ふかひれを中心に旬の食材を中国料理の技術の粋を凝らしてご用意いたします。※店の名前の「カイ」は竹冠に快と書きます。
京の風情を感じる新橋通に建つ元お茶屋を改装した中国料理店。ふかひれを中心に旬の食材を中国料理の技術の粋を凝らしてご用意いたします。※店の名前の「カイ」は竹冠に快と書きます。
世界遺産、金閣寺と龍安寺の間のきぬかけの路にひときわ目立つ建物。多彩な芸術活動で知られる日本画家・堂本印象の作品を展示する他、近現代日本画の特別企画展を開催。収蔵品は日本画、油彩画、工芸など2,...
社家とは、神官の屋敷のこと。明神川沿いに建ち並んでおり、家ごとに橋がかかっていて庭内に水を引き入れ曲水や池を作っている。錦部家旧宅(西村家別邸)が公開されているほか、すぐきの老舗「なり田」も社家...
明治16年(1883)、京都府知事の北垣国道は当時東京大学の学生であった田辺朔郎に会い、疏水計画を依頼した。田辺はこれを卒業論文にまとめ明治18年(1885)、卒業と同時に着工し5年がかりで第一...
明治元年(1868)、鳥羽・伏見の戦いで、西園寺公望公の「王政復古反対派の軍勢を攻めよ」との命令に応えて、山国村の農民83名が武装蜂起した。翌年、征東軍の一隊として山国隊を結成。大総督有栖川宮の...
東福寺の塔頭・天得院では6月下旬~7月中旬と11月中旬~12月初旬に特別拝観を実施。本堂前には一面の苔庭が広がりそこに6月~7月は桔梗、11月~12月は紅葉を愛でることが出来ます。苔の緑と花々木...
春(3/1~5/30) 古渡更紗展夏(6/1~8/30) 竹屋町展秋(9/1~11/29) 名物裂展冬(12/1~2/27) 珍しい染織展
天保13(1842)年に伏見で創業した宝酒造の清酒「松竹梅」は、その高い品質で世界中で親しまれています。上撰松竹梅は発酵旺盛な「蔵付き半兵衛酵母」で仕込んだ軽快でなめらかな味わいが特長で、冷やは...
享保3年(1718)創業。四条大橋西詰鴨川畔に面し木造3階建の本格数寄屋で古都の香りに満ちた料亭。伝統の味に新しい工夫を加え年変り月変りの献立が楽しめる。芸妓、舞妓の申し込みも可能。
明治時代、大切な照明具として人々の暮らしに欠かせなかった石油ランプ、日本製・外国製あわせて約800点を展示している。ほとんどが実際に使用されていた物で、当時の明かりの様子がよくわかる。
東福寺塔頭。本尊の不動明王は藤原道長が仏師康尚に作らせたもので木造坐像としては日本一の大きさを誇り重要文化財に指定されている。またモルガン財閥に嫁いだ芸妓モルガンお雪の墓があり「働く女性の守り本...
職人がお客様の目の前で、季節の生菓子をおつくりするカウンター席。できたてをお抹茶とともに心ゆくままお召し上がりください。
1577年に明智光秀によって築城されました。1610年、岡部長盛の時代に城郭・城下町がほぼ完備されました。明治維新のあと廃城令により解体されましたが、現在の所有者である宗教法人大本の手により石垣...
天橋立駅徒歩1分、天橋立徒歩4分の宿。日本酒ソムリエである主人が自分の足と舌で選んだ日本酒をお食事と合わせて楽しんでいただく酒鮮スタイルを提供。 レンタサイクル(20台)は、アルミフレーム製。衝...
天橋立に一番近い宿。天橋立廻旋橋が目の前にあり、静かに流れる天橋立運河を眺める絶好のロケーション。宿開業は1870年と古く、与謝野晶子をはじめ多くの歌人が宿泊した名宿で、館内にミニギャラリー「晶...
天橋立ホテルに隣接するビジネスタイプの宿泊施設。1階には本格的フレンチをリーズナブルに提供しているレストランピュールもあり、お部屋は、シングル、ダブル、ツイン&トリプルと各種のルームタイ...
神社期によると、仁寿二年(852)、藤原良房が公詔を受け造営されたと記録されている。また江戸時代には、天神社として天神を祀っていたこともある。境内には本殿のほか、拝殿、絵馬殿、社務所、式場などの...
思い描いた田舎暮らしが体験できる宿。
市の情報発信基地。園部城をイメージした外観。伝統的な茅葺民家を再現した展示ホールなど、城下町の雰囲気をかもし出すつくり。イベントホールや展望談話室、全国有数のCATVスタジオなど近代的設備も完備...
標高181m、京都府の歴史的自然環境保全地域にも指定されている権現山にある吉原山城跡。戦国の武将一色・細川氏、峰山藩主京極氏が蔵王権現を祀ったところから権現山とも呼ばれている。春の桜、秋の紅葉で...
丹後ちりめんが、今日のように独特のしぼを持ち、しなやかな風合いと光沢をもつ織物になったのは、今から約300年前の享保5年(1720)峰山の絹屋佐平治(のちに森田治郎兵衛と改名)が京都西陣の機屋へ...
境内にある十三重石塔は、重要文化財に指定。台石に建治3年(1277)10月3日の刻銘があり、屋根の一部に欠損した部分があるほかは造立当初の姿をよく残している。
平安時代末の「平治の乱」で源氏に敗れた藤原信西が、領地のある宇治田原に逃れたところを捕らえられ斬首され、その首を持ち帰った領民により葬られたという塚。向かいの大道神社とともに、秋には町内の紅葉の...
「田原天皇(施基皇子)」は天智天皇の皇子で万葉歌人。伝承では宇治田原の高尾と荒木に館を構え、そこで亡くなったために陵墓が作られたという。天皇谷の入口、現在の大宮神社裏参道横に田原天皇社が祀られた...