安積親王陵墓
安積親王は聖武天皇の皇子。この陵墓は、お茶畑に囲まれた小高い丘の上にあり、別名「太鼓山」と呼ばれ土地の人々から崇められている。
安積親王は聖武天皇の皇子。この陵墓は、お茶畑に囲まれた小高い丘の上にあり、別名「太鼓山」と呼ばれ土地の人々から崇められている。
菅原道真公が太宰府に左遷されるとき、この地に立ち寄り、名残りを惜しんだとして道真公を祀っている。そのため、「見返り天神」とも言われている。景勝地として名高い境内には八条ヶ池が広がり、その中央を通...
〈一日尼僧修行〉女性対象。日にち要相談、10時~15時実施。白衣着替~足香~法衣授与・念珠作製~瞑想・礼拝~昼食~法話・読経~護摩祈祷~成満之証・法名授与定員/約20名(要予約)
日本一早くまわれる七福神巡り。神応寺から東光寺までの約5kmに及ぶのどかな道のりは、散策に最適。(神応寺→養仙寺→蔵宝寺→金光寺→耕雲寺→極楽寺→東光寺 所要時間 約2時間)※コース途中にある七...
無病息災にご利益のある、丈六の露天石仏の阿弥陀如来像。この大仏は、大正7年(1918)筒川製糸の従業員42名が、東京見物から帰った後、スペイン風邪(流行性感冒)にかかり亡くなった霊を慰めるために...
応神天皇が祀られている。境内にある石燈籠は、重要文化財に指定されている。高さ2.5m、八角形の基礎の上に、宝珠の下を長く作って茸形になったこの灯ろうは、南北朝時代に作られた「丹後形燈籠」の代表的...
奈良時代に創建されたと伝える古刹。本尊は不動明王で、行基が開基したと伝えられている。通称「お不動さん」の名で親しまれるこの寺には、大江山の鬼退治の伝説を描いた400年前の絵巻物が保存されており、...
標高181m、京都府の歴史的自然環境保全地域にも指定されている権現山にある吉原山城跡。戦国の武将一色・細川氏、峰山藩主京極氏が蔵王権現を祀ったところから権現山とも呼ばれている。春の桜、秋の紅葉で...
現在の本堂が建ったのは宝永3年(1706)。 奈良時代「鹿山寺(かせやまでら)」と称して古代南部仏教の一派といわれている。 奈良元興寺と関わりがあったとされている。
約1千年前、東大寺の僧・平崇上人が開いた寺院。十一面観音立像や日光・月光菩薩立像など多くの文化財が宝物殿に安置されている。また、本堂裏には開創千年を記念した巨大壁画『禅定寺平成大涅槃図』が描かれ...
元は「天満宮」と称し中世から存在していた。現在の本殿(町指定文化財)は延宝8年(1680)建立。鷲峰山登山道沿いで隠れた紅葉の名所。
白鳳時代(7世紀後半)に建立された古代寺院跡で、付近から飛鳥の寺院や平城宮などと同じ瓦が出土している。「禅定寺文書」の鎌倉時代の記述に「山瀧寺」の名が見られ、昭和20年代まで「大御堂」が存在して...
向日神社北側の勝山公園内にある元稲荷古墳は、古墳時代前期の前方後方墳。全長は約92mあり、刀剣類、斧などが出土した。墳頂からは特殊器台形埴輪が発見されている。周辺には、弥生時代の高地性集落と思わ...
世界三大美女の一人として、またせつない女心を詠んだ歌人として知られる小野小町。生まれた年も、死亡した場所も謎に包まれているが、晩年は井堤寺に住んでいたと伝わる。玉津岡神社の参道べりには、自然石を...
仁和寺の東側にあり、土用に行われる「きゅうり封じ」で知られている。深草の石峰寺とともに石仏群の双璧としても有名で、五智如来のほか11体の石仏が境内に並んでいる。
「東洋のベネチア」とも呼ばれる漁師町・吉原地区で開業100年以上経過するレトロな銭湯。建物は国の登録有形文化財に指定されています。
本尊の文殊菩薩坐像と十一面観音菩薩立像は重要文化財。文殊菩薩坐像は奈良時代に行基が架けた泉大橋が流され、残っていた橋柱から鎌倉時代に刻みだしたものと伝わる。伽藍を建立して安置したのが現在の大智寺...
〈府立丹後郷土資料館〉国の史跡、丹後国分寺跡に建てられた府の施設で、丹後地方を中心とする考古資料、歴史資料、民俗資料を多数所蔵・展示している。通年の常設展の他、特別展や企画展などを随時開催し、丹...
織田信長に敗れた近江の六角氏が当地に逃れたという伝承を持ち、昔ながらの古い風習を伝える山腹の集落。集落から大峰山へ至る林道からは宇治川沿いの天ヶ瀬峡谷や京都市内が一望できる。春には梅林が咲き誇る...
本坊の「雪の庭」は松永貞徳の造営で、清水寺成就院の「月の庭」、北野天満宮の「花の庭」とともに、雪月花三庭苑と呼ばれる。紀州道成寺ゆかりの「安珍・清姫の鐘」を所蔵、展示している。
玉川の岸辺に座る数百トンもありそうな岩。その巨岩には、大きさ1mほどの左馬が刻まれており、道行く人を驚かせる。左馬は、女性の習いごと、裁縫や作法、生け花、舞踊を志す人の守り神として、古くから信仰...
台座を含むと高さ5.3mの府下で有数の石の立像で、江戸時代後期に建立された。右の頬にあざのような染みがあることから「アザ取り地蔵」とも呼ばれて親しまれている。冬になると、信仰する人々の手によって...
帆立貝式とよばれる前方部の短い前方後円墳の埋葬施設の石棺が移築されている。石棺には、発掘当時全国でわずか5例となる女性の人骨が残されていた。また、三種の神器ともいわれる鏡、玉、剣がみつかっている...
和銅4年(711)、聖武天皇の勅願で行基によって創られ、当時は弓削寺とよばれていたと伝えられている。その後天正7年(1579)明智光秀が周山城を築いた時、寺を壊して城の用材としたため廃絶した。現...