
史跡長岡宮跡朝堂院跡
朝堂院は長岡宮の中心にある国家の政務・儀式を行う場所で、今の国会議事堂のような施設です。唐の長安城がモデルといわれ、東西に4つずつ、計8つの堂がありました。また、南門に楼閣が2つあり、とても荘厳...
朝堂院は長岡宮の中心にある国家の政務・儀式を行う場所で、今の国会議事堂のような施設です。唐の長安城がモデルといわれ、東西に4つずつ、計8つの堂がありました。また、南門に楼閣が2つあり、とても荘厳...
旧綴喜郡のなかで、もっとも古い神社のひとつ。創建は明らかではないが、日本全国の神社を記した平安時代初期の書物「延喜式」にも掲載されている神社で、当時は朝廷から崇敬されていた。祭神は天照大神の弟、...
“さしていく笠置の山をいでしより 天が下にはかくれがもなし”(太平記)武家政治を打破し、天皇政治をとり戻す策略が発覚した後醍醐天皇が、逃れようとする途中に大きな松の下で休まれ、そのときに詠じられ...
京都では「六道さん」の名で親しまれる。お盆には冥土まで響くとされる「迎え鐘」をついて、ご先祖の精霊をこの世にお迎えする精霊迎え「六道まいり」の寺である。山号(さんごう)を大椿山(たいちんざん)と...
南禅寺は臨済宗南禅寺派の大本山で、正応4年(1291、鎌倉時代)に亀山法皇の離宮を大明国師に賜り禅林禅寺としたのが始まり。足利義満の時代に「五山之上」に位置し、臨済宗寺院最高の格式を誇った。広大...
日本で初めて飛行原理を発明した二宮忠八翁創建の神社。航空事故殉難者の御霊を祀り、航空業界の安全と発展を願う。忠八翁ゆかりの資料や、企業団体からの寄贈品などを鑑賞できる資料館が併設されているほか、...
江戸時代に、代々幕府領の庄屋を務めた伊佐家の住居で、重要文化財に指定されている。享保19年(1734)に建てられた母屋は、茅屋の屋根の厚さが特徴的でかつてあった巨椋池の茅で葺かれ、赤い壁は、今は...
一般には12月9日、12月10日の大根焚きで知られている。これは建長4年(1252)冬、親鸞聖人が月輪寺から帰る途中ここへ立ち寄った際、村人が大根を煮てもてなしたのに由来し、聖人はその礼にすすき...
京都市景観保全地区の織物工場跡を利用し、長襦袢やきものなど、特に大正期から昭和初期のレトロモダン柄の長じゅばんや復刻製品を展示。当時の卓越した染織技量と京友禅染が見学できるギャラリー。
鷲峰山にある古刹。1300年前に創建され、平安時代の最盛期には50以上の堂宇が建っていたといわれる。鎌倉時代、兵火にあってほとんどの堂宇が消失し、現在は多宝塔だけが往時のおもかげを伝えている。閑...
中世の豊富庄の総社。三間社流造りの本殿は、約500年前の室町時代後期、文亀2年(1502)頃に建立された建物。昭和62年(1987)6月に国の重要文化財に指定された。
江戸時代に7代藩主・京極高備(たかまさ)により、四国の金毘羅権現の分霊をお迎えしたもの。家内安全、学業成就、商売繁盛、縁結びなどのご利益があるといわれている。全国でも珍しい「狛猫」は、ちりめんで...
寺町通りの一本東の通りで、たくさんのおみやげ屋さんが建ち並ぶ。修学旅行生のメッカとしても名高いところ。繁華街だが妙心寺や安養寺など古いお寺が散在していて、これがいかにも京都らしい光景。
境内には明治維新史跡があり、参道を「維新の道」と呼ぶ。嘉永6年(1853)以来国難殉じた維新の志士を始め、日清、日露、大東亜戦争での京都府出身の英霊73,011柱を奉祀する。坂本龍馬の墓からは市...
平安京造営にあたり、木材を山国の郷より徴せられたことから、この郷を御杣御料地(木材を切り出す所)と定め、宝亀年間(770~780)本殿が建てられた。山里にひっそりと建っているが、毎年10月第2日...
創建年月など不詳だが、かつて神功皇后が三韓遠征の際、神社背後の山に酒壺を三個安置して出立、帰国後その霊験に感謝して建てられたとも。境内は広く「山城綴喜郡誌」によると古来、社僧らが奉仕し斎主神とし...
享徳元年(1452)、細川勝元によって建立された名刹。八木城主内藤家の菩提寺で、京都三龍(龍安寺、龍潭寺、龍興寺)のひとつに数えられている。七堂伽藍が整い、鐘楼は古く18世紀中頃のものといわれている。
慶安元年(1648)に福知山藩 稲葉騒動で自害した藩主 稲葉紀通公の菩提寺。稲葉氏の遠縁にあたり臨済宗妙心寺の十傑と称された回天和尚ゆかりの古刹。天田郡西国第七番札所。〈写経、法話、坐禅〉要予約...
元々青龍寺として創建されたが、大干ばつ大飢饉の年に雨乞いの御祈祷をし、龍神に勝ち雨を降らせたことから現在の名前になった。「京都洛西観音霊場第十四番札所」、「ぼけ封じ近畿十楽観音第三番札所」である...
中世の戦乱を象徴する山城遺構で、平野部を阿蘇海に向けて突き出た標高50mの丘陵上にある。この城は、丹後一色氏の没落の際、最後の攻防がくり広げられた場所で、戦国時代の丹後における代表的な山城のひとつ。
加悦の天満神社は天正14年(1586)に安良城主の有吉氏により現在の地に遷宮されたと伝えられ、本殿脇には高さ約2.6mの丹後を代表する鎌倉時代後期の石燈籠がある。(京都府指定文化財)
重伝建地区「ちりめん街道」の北端に位置する旧加悦町役場は丹後大震災後の昭和4年(1929)に建築された。 2020年3月に大規模な修理と耐震改修が完了し、建築当時の雰囲気が再現された。一見シンプ...
南北朝時代に須知景光によって築城された。天正7年(1579)、明智光秀による丹波侵攻に遭い落城したが、光秀により改修された。城跡には石垣や堀切などの遺構が良好に残っている。 場所は琴滝北側の山頂...
奈良時代、笠置山で狩りを楽しんでいた天武天皇が、鹿を追って進退きわまったとき、仏に祈念して難を逃れた。そこで大岩面に弥勒菩薩を掘り、それを本尊にしてはじまったのが笠置寺。平安末期には修験道の道場...