涌出宮
涌出宮とも呼ばれる和伎座天乃夫岐売神社(わきにますあめのふきめじんじゃ)は、約1260年前の天平神護2年(766)、現在の三重県にあたる五十鈴川の船ケ原から天乃夫岐売命を勧請したのが、その起こり...
涌出宮とも呼ばれる和伎座天乃夫岐売神社(わきにますあめのふきめじんじゃ)は、約1260年前の天平神護2年(766)、現在の三重県にあたる五十鈴川の船ケ原から天乃夫岐売命を勧請したのが、その起こり...
鷲峰山にある古刹。1300年前に創建され、平安時代の最盛期には50以上の堂宇が建っていたといわれる。鎌倉時代、兵火にあってほとんどの堂宇が消失し、現在は多宝塔だけが往時のおもかげを伝えている。閑...
本坊の「雪の庭」は松永貞徳の造営で、清水寺成就院の「月の庭」、北野天満宮の「花の庭」とともに、雪月花三庭苑と呼ばれる。紀州道成寺ゆかりの「安珍・清姫の鐘」を所蔵、展示している。
〈都七福神〉日本最古の都七福神の1つとして有名。
「丹後二の宮」として厚い信仰を集めており、祭神は大宮売神と若宮売神で、平安時代前期の『延喜式』にその名が見える。本殿前の石灯籠2基の右側1基には、「徳治2年3月7日」の刻名があり、鎌倉時代の貴重...
創建は奈良時代と伝えられ、本尊の薬師如来坐像は保安年間の造立と推定される。頭:体の比率が整い、ゆったり坐す姿は12世紀の典型的作風を示し、重要文化財に指定されている。
明治16年(1883)、京都府知事の北垣国道は当時東京大学の学生であった田辺朔郎に会い、疏水計画を依頼した。田辺はこれを卒業論文にまとめ明治18年(1885)、卒業と同時に着工し5年がかりで第一...
城陽市から宇治市にまたがる丘陵や平野につくられた約150基の大規模な古墳群。久津川車古墳、丸塚古墳、芭蕉塚古墳、久世小学校古墳が国の史跡に指定されている。久津川車塚古墳は山城地域最大級の古墳で、...
平安時代の天慶5年(942)、空也上人によって開基された。寺宝の絹本著色仏涅槃図は鎌倉時代の作で、重要文化財に指定されている。 ※ご利益:交通安全
2,200余年の昔、秦の始皇帝の家来の徐福は、皇帝の命をうけ、不老不死の薬草を探す航海に出て、やがて新井崎に漂着した。この神社は、その徐福を氏神として祀り、海上安全と漁業の神として信仰を集めてい...
織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」が勃発し、堺にいた徳川家康は領国三河へ逃亡。道中、郷之口の山口氏の居城で休憩し、奥山田を経て信楽・伊賀へ逃れた。現在は茶畑等になっているが、堀や石垣跡な...
元は「天満宮」と称し中世から存在していた。現在の本殿(町指定文化財)は延宝8年(1680)建立。鷲峰山登山道沿いで隠れた紅葉の名所。
創建は和銅2年(709)といわれ、衣食住の神を祀っている。また女性の守り神として婦人の参拝者が多い。毎年8月14日に行われる佐伯灯籠は、貞観5年(859)京都御所清涼殿より灯籠を賜って以来、五穀...
山城盆地のなかに孤立する小高い丘は、かつて咋山・咋岡とよばれ、早くから開けた土地であった。この飯岡丘陵には木津川の水運に関係する一族の墓と考えられる古墳が点在している。前方後円墳の飯岡車塚古墳、...
古墳時代前期(4世紀)の全長約95mの前方後円墳。第6向陽小学校から竹林公園へと続く竹林の西側にあるのが後円部。発掘調査によって、京都府南部にある古墳からも出土した三角縁神獣鏡のほか多くの鏡が出...
世界三大美女の一人として、またせつない女心を詠んだ歌人として知られる小野小町。生まれた年も、死亡した場所も謎に包まれているが、晩年は井堤寺に住んでいたと伝わる。玉津岡神社の参道べりには、自然石を...
丹後ちりめんが、今日のように独特のしぼを持ち、しなやかな風合いと光沢をもつ織物になったのは、今から約300年前の享保5年(1720)峰山の絹屋佐平治(のちに森田治郎兵衛と改名)が京都西陣の機屋へ...
社伝によると天下五剣と謳われ現在国宝に指定されている「童子切 安綱」を造った刀匠・伯耆安綱と稲荷の神・宇迦之御魂様が山ノ井の水を用い、名刀「髭切」「膝丸」を造った場所と伝わり、幕末の地誌「男山考...
鎌倉時代、正応5年(1292)に建立されたものと思われる。惣墓とは共同墓地のことで、当時はそばに墓地があり、総供養塔として建てられたと考えられる。造立時の銘文に加え、永仁4年(1296)と永禄5...
小高い丘の上に築かれた、直径8mから最大15.5mの12基の古墳から成り立つ古墳群。平成元年(1989)8月に、一番大きな5号古墳から、全国でも貴重な人物埴輪(巫女埴輪)2体が発掘され、一躍脚光...
磯地区を見おろす丘の上にある、源義経が愛した静御前を祀る神社。白拍子の磯禅師を母にもつ静は、都でも指折りの白拍子として有名になり、義経に見初められ愛妾となるが、兄に追われる義経と生き別れ、晩年は...
江戸時代の史料によると、豊臣秀頼の武将で大坂冬の陣・夏の陣で活躍した大野治長の父、道犬を城主と伝える。深い緑に包まれた城跡は、三段の台地となっており、現在城跡には大野神社がある。
標高181m、京都府の歴史的自然環境保全地域にも指定されている権現山にある吉原山城跡。戦国の武将一色・細川氏、峰山藩主京極氏が蔵王権現を祀ったところから権現山とも呼ばれている。春の桜、秋の紅葉で...
創建は天平7年(735)聖武天皇が大仏造立平安祈願のため、良弁僧正に命じて建立させたのが始まりと伝えられるが、焼失し鎌倉時代に解脱上人により中興された。五重塔は、鎌倉時代の傑作で国宝に指定されて...