
高麗寺跡
飛鳥時代から平安時代まで存続していた寺で、高句麗(朝鮮半島)からの渡来氏族狛氏の氏寺として創建されたと考えられている。伽藍は西に金堂、東に塔を持つ法起式の配置で寺域は一辺が約200mの規模であっ...
飛鳥時代から平安時代まで存続していた寺で、高句麗(朝鮮半島)からの渡来氏族狛氏の氏寺として創建されたと考えられている。伽藍は西に金堂、東に塔を持つ法起式の配置で寺域は一辺が約200mの規模であっ...
神童寺は聖徳太子が開いた寺と言われ、その当時は大観世音教寺と称していた。その後、寺号を神童寺と改め、山岳修験の道場として栄えた。数多くの藤原期の仏像が残されており、阿弥陀如来坐像、愛染明王坐像、...
恭仁京の再現ビデオ(DVD)の上映や発掘調査などにより出土した瓦や土器等の展示のほか、恭仁京および市内観光関連パンフレットもご用意しています。
創建は奈良時代と伝えられ、本尊の薬師如来坐像は保安年間の造立と推定される。頭:体の比率が整い、ゆったり坐す姿は12世紀の典型的作風を示し、重要文化財に指定されている。
平安時代に編修された『延喜式』に載る古い社。室町時代初期の本殿は、細工や彫刻にすぐれており重要文化財に指定されている。ユーモラスな仕草で豊作を願う1月15日頃に行われる「御田」や餅を竹串にさして...
かつて木津川はよく氾濫を起こし、長いあいだ人々に大きな被害を与え続けてきた。惣墓(共同墓)五輪塔は、木津川の氾濫で亡くなった人々の供養のために鎌倉時代の正応5年(1292)に建立されたものと思わ...
境内にある十三重石塔は、重要文化財に指定。台石に建治3年(1277)10月3日の刻銘があり、屋根の一部に欠損した部分があるほかは造立当初の姿をよく残している。
泉橋寺は別名「橋寺」とも言われ、僧行基が五畿内(山城・大和・摂津・河内・和泉)に造営した四十九院のひとつ。境内にある石造地蔵菩薩坐像は鎌倉時代につくられたもので、高さは約4.58m。丸彫の石仏と...
浄瑠璃寺~岩船寺の道沿いに、わらい仏(岩船阿弥陀三尊磨崖仏)、(一願不動立像/不動明王立像)などの石仏や石塔があちこちに点在している。約2km、1時間弱の距離。