郷之口本町
郷之口は宇治田原への西側の入口にあたり、かつては織田信長の命で山口甚介秀康が「山口城」を築城し、郷中の郷士層を集めて城下町を形成した。郷之口本町から隣接する贄田地区まで東西に「信楽街道」が横断し...
郷之口は宇治田原への西側の入口にあたり、かつては織田信長の命で山口甚介秀康が「山口城」を築城し、郷中の郷士層を集めて城下町を形成した。郷之口本町から隣接する贄田地区まで東西に「信楽街道」が横断し...
江戸時代初期に建立された天神社本殿は京都府登録文化財に、境内は文化財環境保全地区となっている。参道沿いでは春は桜、秋は紅葉が美しい。毎年8月15日には地元の子どもを中心に郷土芸能「ねりこみ囃子」...
元は「天満宮」と称し中世から存在していた。現在の本殿(町指定文化財)は延宝8年(1680)建立。鷲峰山登山道沿いで隠れた紅葉の名所。
治承4年(1180)、以仁王の平氏追討令に呼応して挙兵した源頼政は平等院に布陣し宇治川を挟んで平氏軍と対峙した。その頼政軍を攻めて武功を揚げた平氏方の武将足利忠綱は、地元の伝承では郷之口北堂山に...
織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」が勃発し、堺にいた徳川家康は領国三河へ逃亡。道中、郷之口の山口氏の居城で休憩し、奥山田を経て信楽・伊賀へ逃れた。現在は茶畑等になっているが、堀や石垣跡な...
山城と近江の信楽を東西に結ぶ街道で、織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」勃発時に、堺にいた徳川家康が宇治田原を通り、領国三河へ逃れた。家康一行は郷之口にあった「山口城」や奥山田の「遍照院」...
妙楽寺境内にある蕪村句碑は、昭和元年(1926)、「宇治行」の原本発見を記念して建てられたもの。蕪村は、天明3年(1783)、田原村の門人から招待され、この地を訪れたといわれている。このときの紀...
古代最大の内乱「壬申の乱」直前、大津京を脱出した大海人皇子(後の天武天皇)は、吉野への道中に立ち寄った里で供された煮栗焼栗を埋めて戦勝祈願をした。やがて栗は芽生えて栗林となり、収穫された栗は宮中...
町の中心部を流れる田原川沿いに整備された遊歩道で、郷之口から岩山地区まで3.4kmに及ぶ。4月には沿道の約270本のソメイヨシノが咲き誇り、桜を愛でながら散策を楽しめる。
宇治田原宗円の郷と呼ばれる西ノ山集団茶園を一望。春には美しい茶畑とともにお茶の収穫が見られることも。遠くに山々を望む、自然豊かな宇治田原の街並みと茶園の調和が楽しめます。 また、ファミリーや友人...
禅定寺山門を入った場所に置かれてあり、康永3年(1344)銘が刻まれている。当時禅定寺の財産の管理者に男子の跡継ぎがなく、長女の蘭雀女のためにその妹が建てたと伝えられる。
鎌倉時代に成立したという説話集「宇治拾遺物語」には、大海人皇子(後の天武天皇)が吉野から大津への道中に宇治田原に立ち寄ったという話が収録されており、宇治田原の南地区がその舞台とされている。他にも...
大宮神社宝筐印塔と同じタイプで鎌倉時代の塔。南区の旧「切林村」に位置し、和束町から伊賀方面へ向かう街道横にある。ここで旅人がわらじの緒を締め直し旅立ったことから地元では「わらじの神様」と呼ばれて...
大宮神社は「田原祭」を行う三社のひとつで、荒木・郷之口地区の氏神。荒木天皇谷入口に座し、裏参道から大峰山への登山口がある。境内には町指定文化財の宝筐印塔があり、他にも文殊石碑など神仏習合時代の名...
岩本城跡は岩山山下地区の背後、通称「城山」の山頂部に築かれた戦国時代の山城。山頂の主郭部には土塁跡が残り、周辺にも曲輪跡が残る。南北朝の動乱で落城したとの伝承もあるが、周囲から石塔や瓦が出土する...
白鳳時代(7世紀後半)に建立された古代寺院跡で、付近から飛鳥の寺院や平城宮などと同じ瓦が出土している。「禅定寺文書」の鎌倉時代の記述に「山瀧寺」の名が見られ、昭和20年代まで「大御堂」が存在して...