黒部銚子山古墳
古墳時代中期前半に築造された前方後円墳。墳丘長約105m、前方部幅50m、高さ11m、前方部幅45m、高さ10mの大規模なもの。京都府指定史跡。
古墳時代中期前半に築造された前方後円墳。墳丘長約105m、前方部幅50m、高さ11m、前方部幅45m、高さ10mの大規模なもの。京都府指定史跡。
織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」が勃発し、堺にいた徳川家康は領国三河へ逃亡。道中、郷之口の山口氏の居城で休憩し、奥山田を経て信楽・伊賀へ逃れた。現在は茶畑等になっているが、堀や石垣跡な...
治承4年(1180)、以仁王の平氏追討令に呼応して挙兵した源頼政は平等院に布陣し宇治川を挟んで平氏軍と対峙した。その頼政軍を攻めて武功を揚げた平氏方の武将足利忠綱は、地元の伝承では郷之口北堂山に...
岩本城跡は岩山山下地区の背後、通称「城山」の山頂部に築かれた戦国時代の山城。山頂の主郭部には土塁跡が残り、周辺にも曲輪跡が残る。南北朝の動乱で落城したとの伝承もあるが、周囲から石塔や瓦が出土する...
江戸時代を代表する俳人のひとり「与謝蕪村」は、晩年に宇治田原の門人の招きで来訪し、松茸狩りなどを楽しみ紀行文「宇治行」を記した。そのときの礼状に記された句を刻んだ句碑が郷之口の「妙楽寺」にあり、...
朝堂院は長岡宮の中心にある国家の政務・儀式を行う場所で、今の国会議事堂のような施設です。唐の長安城がモデルといわれ、東西に4つずつ、計8つの堂がありました。また、南門に楼閣が2つあり、とても荘厳...
上賀茂神社の境外摂社で、参道東側には天然記念物の大田の沢カキツバタ群落がある。藤原俊成が歌に詠んでいることでも知られ、5月上旬ごろから濃い紫の花を咲かせはじめる。
日本海に面し、「静御前」の出身地といわれる磯地区。海岸を見おろす静の杜には、源義経が愛した静御前を祀る静神社が建立されている。
京都市指定有形文化財。上賀茂神社の神主筋(七家)の社家の一つ。明治4年(1871)の国家神道令により上賀茂神社より離れたが、それまで社家として代々が居住した。住宅は伝統的な賀茂の社家スタイルの建...
建築年代など不詳。記録によれば、中世に天満宮と称した時期もあったが、明治6年(1873)村社となり、明治10年(1877)に延喜式内咋岡神社と決定、今の社名にあらためたという。境内の巨木・スダジ...
府の登録文化財の銅版鏡を含め、139面の懸仏を所蔵している。また、毎年8月24日に行われる「牧山の松明」は、高さ4mもある大松明や、周囲1m、高さ1mの松明など、大小さまざまの松明が一斉に灯され...
「全国歴史の道百選」に選ばれた、三和町菟原中から大身へ越える全長2kmの峠。古くから山陰道の要衝として数多くの通行者があり、小式部内侍の「大江山いく野の道の遠ければまだふみもみず天の橋立」にも詠...
平安時代末の「平治の乱」で源氏に敗れた藤原信西が、領地のある宇治田原に逃れたところを捕らえられ斬首され、その首を持ち帰った領民により葬られたという塚。向かいの大道神社とともに、秋には町内の紅葉の...
建藤神社は禅定寺文書にも記載があり、平安時代の創建という。現在の社殿は寛政年間の建立で、鮮やかな色彩が復元された本殿等は京都府登録文化財、境内は京都府文化財環境保全地区となっている。
岩王寺は、平安時代の天暦3年(949)に空也上人によって創建されたと伝えられている。寺宝の永享4年(1432)の施入銘のあるきゅう漆卓(きゅうしっしょく)は本尊様の前机で、高さ約102.7cm、...
地域のために奮闘した豪商の屋敷。 中世の武士に始まり、幕末にはちりめん商として財を成し、ひと時代を築いた旧尾藤家。丹後大震災で多大な被害を受けた町の復興に貢献した。 住宅は江戸時代末期築の広大な...
古墳時代前期(4世紀)の全長約95mの前方後円墳。第6向陽小学校から竹林公園へと続く竹林の西側にあるのが後円部。発掘調査によって、京都府南部にある古墳からも出土した三角縁神獣鏡のほか多くの鏡が出...
鶏冠井町御屋敷にある北真経寺は日蓮宗の寺院で、長岡京の内裏跡に建っている。江戸時代には僧侶の学校「檀林」が置かれ、当時は100名を越える学僧たちが生活を共にしながら勉強をしたといわれている。現在...
「文博店」は、国の重要文化財「京都文化博物館別館」内に店舗を構えております。店内は、1906年に竣工された旧日本銀行京都支店の金庫室であり、重たげな照明や分厚い扉が金庫室の面影を物語ります。歴史...
明治6年(1873)に来日したオランダ人工師、ヨハネス・デ・レーケは日本の治山、治水に大きな功績を残した。京都府では彼の偉業を記念して、昭和57年(1982)、不動川砂防歴史公園の整備に着手し、...
昭和28年(1953)、古墳の後円部を南北に走る国鉄奈良線(現JR奈良線)の拡幅工事の際、偶然に竪穴式石室が出土。邪馬台国女王卑弥呼の鏡といわれる「三角縁神獣鏡」を含む四十面近い銅鏡や多くの副葬...
山城盆地のなかに孤立する小高い丘は、かつて咋山・咋岡とよばれ、早くから開けた土地であった。この飯岡丘陵には木津川の水運に関係する一族の墓と考えられる古墳が点在している。前方後円墳の飯岡車塚古墳、...
“さしていく笠置の山をいでしより 天が下にはかくれがもなし”(太平記)武家政治を打破し、天皇政治をとり戻す策略が発覚した後醍醐天皇が、逃れようとする途中に大きな松の下で休まれ、そのときに詠じられ...
江戸時代に谷出羽守が封じられた山家藩の陣屋跡で、公園として整備されている。桜やもみじの名所としても知られる。