平地地蔵
京丹後市
歴史文化
台座を含むと高さ5.3mの府下で有数の石の立像で、江戸時代後期に建立された。右の頬にあざのような染みがあることから「アザ取り地蔵」とも呼ばれて親しまれている。冬になると、信仰する人々の手によって...
台座を含むと高さ5.3mの府下で有数の石の立像で、江戸時代後期に建立された。右の頬にあざのような染みがあることから「アザ取り地蔵」とも呼ばれて親しまれている。冬になると、信仰する人々の手によって...
愚中周及が開山した丹波随一の古刹で、古い歴史を刻み、静寂なたたずまいの中にも威厳を漂わせている。本堂は、昭和38年(1963)の再建で、江戸中期~後期建造の開山堂、薬師堂などが境内に昔のままひっ...
明治16年(1883)、京都府知事の北垣国道は当時東京大学の学生であった田辺朔郎に会い、疏水計画を依頼した。田辺はこれを卒業論文にまとめ明治18年(1885)、卒業と同時に着工し5年がかりで第一...
〈都七福神〉日本最古の都七福神の1つとして有名。
水琴窟(山門を入り左側、水子地蔵横)があることで有名な寺院。
本坊の「雪の庭」は松永貞徳の造営で、清水寺成就院の「月の庭」、北野天満宮の「花の庭」とともに、雪月花三庭苑と呼ばれる。紀州道成寺ゆかりの「安珍・清姫の鐘」を所蔵、展示している。