黄檗山萬福寺
禅宗「黄檗宗」の大本山。江戸初期に渡来した中国僧隠元によって寛文元年(1661)に開創。境内には中国式の巨大な伽藍が建ち並び、異国情緒にあふれている。中国風精進料理「普茶(ふちゃ)料理」や唐韻で...
禅宗「黄檗宗」の大本山。江戸初期に渡来した中国僧隠元によって寛文元年(1661)に開創。境内には中国式の巨大な伽藍が建ち並び、異国情緒にあふれている。中国風精進料理「普茶(ふちゃ)料理」や唐韻で...
四条通から北に一筋入った通りで、寺町から高倉まで約400mの間に錦市場がある。「錦に来てそろわへん食べ物は1個もあらへん」という京都人の言葉通り、魚・肉・乾物・惣菜・湯葉・漬物・京野菜などの店が...
大徳寺塔頭。キリシタン大名で知られる大友宗麟公の菩提寺で、方丈・唐門・表門は天文4年(1535)に建てられた当時のもので重要文化財。重森三玲氏作庭の庭や昭和初期に建てられた茶席を公開。「独坐庭」...
明治26年(1893)創業。豊臣秀吉の邸宅・聚楽第の跡地にある造り酒屋。伝統ある酒造りを継承しつつ積極的に新しい技術も取り入れている。 代表銘柄「聚楽第 純米大吟醸」〈精米歩合〉40%〈主な使用...
平安時代に編纂された延喜式神明帳に載っており、乙訓地方で最も古い神社のひとつ。天正10年(1582)6月に起こった山崎合戦に際し、羽柴(豊臣)秀吉は家臣の片桐祐作を本社に遣わし戦勝祈願をしたとい...
京都、奈良、大阪の3府県にまたがる関西文化学術研究都市の文化・学術・研究交流を総合的に推進する中核施設。〈主要施設〉交流棟 メインホール(1,000席)、大会議室1室(スクール306席)、中会議...
泉涌寺の塔頭の一つで、参拝客にお茶の庭でお抹茶の接待をしている。
「主競技場」「補助競技場」「旧武徳殿」「弓道場」「相撲場」の各施設を備える総合武道施設。年間を通して、様々な武道種目の競技大会が開催されている。特に、旧武徳殿については、平安遷都1100年記念事...
臨済宗妙心寺派の大本山であり、山号を「正法山」という。建武4年(1337)に関山慧玄禅師(無相大師)を開山に迎え、花園法皇の離宮を改め禅寺としたのが始まり。諸堂伽藍は典型的な禅宗様式で日本随一と...
東海道五十三次の西の起点。現在の橋は、天正18年(1590)に豊臣秀吉の命で改築された木橋の面影を残しており、高欄の擬宝珠14個はその当時のもの。橋の全長は74m。橋上からは比叡山、北山、東山な...
客殿からは樹齢700年の京都市指定天然記念物である五葉松が眺められる。庭の名前は盤桓園(額縁庭園)で柱と柱の空間を額に見立てて観賞する。「理智不二」と名付けられた二連式の水琴窟もある。
志ば漬(夏期)、千枚漬(冬期)などの製造工場の見学、ビデオ上映など。所要時間/約60分定員/最大収容数 約70名(要予約)漬物の販売やレストランでの食事もできる。
上賀茂名物の焼き餅。つぶあんを餅で包み、両面をこんがりと焼いたもの。
城門や隅櫓、城壁の一部が昔の面影を残す園部城跡。現在は、京都府立園部高校の校門になっている。この城は、江戸時代初期に初代藩主の小出吉親によって築かれた。幕府の許可が得られず、天守閣のない陣屋でし...
慶雲元年(704)開基という古刹で、西国第28番札所。本尊は、秘仏の聖観世音菩薩。本道への石段右手にある「撞かずの鐘」は、その音色に鐘を作る際に誤って命を落とした子供の泣き声がするため、鳴らされ...
西国三十三か所の第17番札所。本堂の背後に建つ文化財収蔵庫(令和館)には平清盛公坐像や念仏を称える口から六体の阿弥陀が現れたと言い伝えられる空也上人像など、美術史上重要な仏像が数多く安置されてい...
「智恵・学問・商才・厄除け」の神様、菅原道真公を祀る。京の台所錦市場を正面に見据え、新京極通に面した繁華街唯一の鎮守社。幻想的に灯る奉納提灯は圧巻。境内には、地下百尺より汲み上げている錦の水があ...
乃木希典を祀る神社。
大原の北にあり、中国風の山門が変わった印象を与えてくれる。深い緑に覆われているせいか、夏でもひんやりしている。参道の左手には実相の滝があり、古木の楓と絵画のような構図。隠れた紅葉の名所である。
重要文化財の本殿は、江戸時代初めの慶長9(1604)年の建築。檜皮葺の屋根をもつ三間社流造で、神社建築では市内で最も大きい。旧富野・長池集落の産土神。令和5(2023)年に修理が完成し、かつての...
かつては紙幡寺、加波多寺ともいわれていた蟹満寺は、白鳳期の末期に建てられた。本尊の銅造釈迦如来坐像は白鳳期の秀作で国宝に指定されている。「今昔物語集」や「古今著聞集」に登場する“蟹の恩返し”の縁...
京都第二外環状道路高架下にある。2本の橋桁を仕切りに見立て、「歴史の広場」「子どもの広場」「多目的広場」の三つのゾーンで構成。複合遊具や音楽ステージも整備されています。 公園からは、ここ一番勝負...
寛喜元年(1229)近衛基通の孫、静基によって創建され、応永18年(1411)に現在地に落ち着いた。四脚門、御車寄せ、客殿などは江戸時代中期に東山天皇中宮承秋門院の旧殿を移築したものである。数少...
京都の「東寺口」から久世橋、向日市の中心街、長岡京市の神足、大山崎を経て「摂津」へ抜ける古い街道で、東海道・山陽道をつなぐ主要幹線道路。「山城名跡巡行志」という記録によると、京を出て最初の宿場「...