
上津遺跡
数多くの遺構や遺物が発見され、奈良時代におけるこの地域の重要性を明らかにした遺跡。木津川南岸に設けられた平城京の港「泉津」におかれた官の施設と考えられている。
数多くの遺構や遺物が発見され、奈良時代におけるこの地域の重要性を明らかにした遺跡。木津川南岸に設けられた平城京の港「泉津」におかれた官の施設と考えられている。
約1千年前、東大寺の僧・平崇上人が開いた寺院。十一面観音立像や日光・月光菩薩立像など多くの文化財が宝物殿に安置されている。また、本堂裏には開創千年を記念した巨大壁画『禅定寺平成大涅槃図』が描かれ...
江戸時代中頃(1738年)に「青製煎茶製法」を開発・普及し、日本の緑茶製法の基礎を築いた永谷宗円の生家(昭和35年再建)。 内部には製茶に使われた貴重な焙炉(ほいろ)跡が保存されており、映像で宗...
「田原天皇(施基皇子)」は天智天皇の皇子で万葉歌人。伝承では宇治田原の高尾と荒木に館を構え、そこで亡くなったために陵墓が作られたという。天皇谷の入口、現在の大宮神社裏参道横に田原天皇社が祀られた...
建藤神社は禅定寺文書にも記載があり、平安時代の創建という。現在の社殿は寛政年間の建立で、鮮やかな色彩が復元された本殿等は京都府登録文化財、境内は京都府文化財環境保全地区となっている。
加悦駅舎は大正15年(1926)の私鉄加悦鉄道の開通とともに建てられたもので、与謝野町の近代を代表する建物。 地元民の足として、また丹後ちりめんや大江山ニッケル鉱山の鉱石の輸送に活躍した加悦鉄道...
笠置山の山頂付近には、花崗岩で造られた巨岩・奇石が多く、その特異な景観から山伏の修行場となっていた。巨岩には、弥勒石、虚空蔵石、文殊石、太鼓石、貝吹岩、ゆるぎ石などがあり信仰の対象となっている。...
建立された時代の判明している村堂としては丹波地方で最も大きく、古い建造物として、国重要文化財に指定されている。本尊の木造観音菩薩立像(町指定文化財)は平安時代後期作の一木造りで60年に1回御開帳...
文安2年(1445)山家城主和久氏の菩提寺として、万山全重を開山として創建され、この地方には珍しい3種類の古庭園をもつ。石段を登り、境内に入ると本堂前広場の左手に石庭「真観庭」さらに本堂の西側に...
江戸時代に谷出羽守が封じられた山家藩の陣屋跡で、公園として整備されている。桜やもみじの名所としても知られる。
約4km・約2時間阪急京都線西向日駅→史跡長岡宮跡朝堂院跡→史跡長岡宮跡築地跡→桜の径→一文橋・歴史の道→石塔寺→説法石(向日神社)→須田家住宅→築榊講常夜燈→寺戸川(深田川)→JR京都線向日町駅
台座を含むと高さ5.3mの府下で有数の石の立像で、江戸時代後期に建立された。右の頬にあざのような染みがあることから「アザ取り地蔵」とも呼ばれて親しまれている。冬になると、信仰する人々の手によって...
小野山妙性寺は、平安六歌仙の一人として名高い小野小町を開基とする寺院。その昔、小野小町が妙性寺所在の五十河の地で命を落としたと伝えられ、この地に辞世の句を遺すなど幾つかの伝承が残されている。妙性...
一般には12月9日、12月10日の大根焚きで知られている。これは建長4年(1252)冬、親鸞聖人が月輪寺から帰る途中ここへ立ち寄った際、村人が大根を煮てもてなしたのに由来し、聖人はその礼にすすき...
鷲峰山にある古刹。1300年前に創建され、平安時代の最盛期には50以上の堂宇が建っていたといわれる。鎌倉時代、兵火にあってほとんどの堂宇が消失し、現在は多宝塔だけが往時のおもかげを伝えている。閑...
東福寺の塔頭・天得院では6月下旬~7月中旬と11月中旬~12月初旬に特別拝観を実施。本堂前には一面の苔庭が広がりそこに6月~7月は桔梗、11月~12月は紅葉を愛でることが出来ます。苔の緑と花々木...
増誉大僧正が寛治4年(1090)に白河上皇より賜った寺で、家並みがつづく築地塀に囲まれるように建つ。現在の建物は延宝4年(1676)再建。修験道の本山として全国の修験者を統括したため、古くは入洛...
俳人与謝蕪村ゆかりの寺。宝歴4年(1754)、蕪村は俳友の竹渓を訪ね、この寺で3年余を過ごして画筆に精進したといわれている。庭に「短夜や六里の松に更けたらず」と刻まれた大きな自然石の句碑や蕪村の...
細川忠興公・ガラシャ夫人生誕450周年を記念して平成25年11月、カトリック宮津教会に隣接する大手川ふれあい広場中央に建立されました。波乱万丈の生涯の中で、自ら信念を貫いた細川ガラシャ夫人が「祈...
「氏神牛頭天王造供神社牘之控」に、普賢寺郷の惣社牛頭天王社(現朱智神社)に遠く、打田村にも天王社を造営したとある。明治時代に須賀神社とあらためられた。府の登録文化財である本殿は、東に面した一間社...
古墳時代中期前半に築造された前方後円墳。墳丘長約105m、前方部幅50m、高さ11m、前方部幅45m、高さ10mの大規模なもの。京都府指定史跡。
かつて木津川はよく氾濫を起こし、長いあいだ人々に大きな被害を与え続けてきた。惣墓(共同墓)五輪塔は、木津川の氾濫で亡くなった人々の供養のために鎌倉時代の正応5年(1292)に建立されたものと思わ...
地域のために奮闘した豪商の屋敷。 中世の武士に始まり、幕末にはちりめん商として財を成し、ひと時代を築いた旧尾藤家。丹後大震災で多大な被害を受けた町の復興に貢献した。 住宅は江戸時代末期築の広大な...
文化圏が奈良県に属していた南山城村には、今も奈良文化の影響を色濃く残した寺が残っている。春光寺もその一つで、本尊の木造薬師如来立像は、奈良様風の代表格、元興寺の木造薬師如来立像の系統を受け継いで...