
西光寺
奈良時代(天平勝宝8年)創建といわれ、かつては高雄の神護寺の末寺として栄えた。毎年8月16日に奉納される六斎念仏踊りは府の無形民俗文化財に指定されている。丹波の名彫物師・中井権次作の龍の欄間は見...
奈良時代(天平勝宝8年)創建といわれ、かつては高雄の神護寺の末寺として栄えた。毎年8月16日に奉納される六斎念仏踊りは府の無形民俗文化財に指定されている。丹波の名彫物師・中井権次作の龍の欄間は見...
平安時代に編修された『延喜式』に載る古い社。室町時代初期の本殿は、細工や彫刻にすぐれており重要文化財に指定されている。ユーモラスな仕草で豊作を願う1月15日頃に行われる「御田」や餅を竹串にさして...
江戸時代を代表する俳人のひとり「与謝蕪村」は、晩年に宇治田原の門人の招きで来訪し、松茸狩りなどを楽しみ紀行文「宇治行」を記した。そのときの礼状に記された句を刻んだ句碑が郷之口の「妙楽寺」にあり、...
鎌倉時代末期、日像上人が向日神社前にある法華題目の石塔婆の傍らにお堂を建て、石塔寺と名付けたのが創建と伝えられている。境内には山吹、つつじが多く、毎年5月の花まつりに披露される「鶏冠井題目踊」は...
約8.2km・約4時間阪急京都線東向日駅(JR京都線向日町駅)→向日市文化資料館→元稲荷古墳→五塚原古墳→桓武天皇皇后陵→竹の径→寺戸大塚古墳→竹林公園→物集女車塚古墳→淳和天皇火葬塚→物集女城...
3世紀前半、卑弥呼の時代につくられた最古級の古墳。古墳は国の史跡、出土品は重要文化財に指定されており、腕輪形銅製品の「銅釧(どうくしろ)」は完形品で同じものがない貴重なもの(城陽市歴史民俗資料館...
神童寺は聖徳太子が開いた寺と言われ、その当時は大観世音教寺と称していた。その後、寺号を神童寺と改め、山岳修験の道場として栄えた。数多くの藤原期の仏像が残されており、阿弥陀如来坐像、愛染明王坐像、...
別名「らくがき寺」、約300年前、京都妙心寺の瑞応和尚が救苦観音を安置したのが由来とされる臨済宗の寺。山門を入った正面に大黒堂という御堂があり、この御堂の白い内壁に訪れた人々が大願成就を願い筆を...
鷲峰山にある古刹。1300年前に創建され、平安時代の最盛期には50以上の堂宇が建っていたといわれる。鎌倉時代、兵火にあってほとんどの堂宇が消失し、現在は多宝塔だけが往時のおもかげを伝えている。閑...
安積親王は聖武天皇の皇子。この陵墓は、お茶畑に囲まれた小高い丘の上にあり、別名「太鼓山」と呼ばれ土地の人々から崇められている。
鎌倉時代を中心に繁栄した寺院跡で、山頂には丹後地方では最大の「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」がある。ツツジの名所でもあり、現在では山全体が公園となっている。
足利義満が普明国師を開山として建てた臨済宗単立寺院。山門脇の古びた土塀が、禅宗の寺院らしさを引き立てる。庭園は苔むした枯山水で、なだらかな稜線の嵐山を借景にしている。〈宿坊〉女性のみ対象。おつと...
一乗寺下り松はその昔、宮本武蔵が吉岡一門と決闘を演じたところといわれている。しかし今では民家が密集し、当時のことを記した「宮本・吉岡決闘之地」と刻まれた石碑のみが残る。
暦応2年(1339)奈良県吉野で崩御された後醍醐天皇の霊を慰めるため、時の将軍足利尊氏が夢窓国師を開山として建立された。嵐山・亀山・小倉山を借景とする池泉回遊式庭園は、開山夢窓国師の作庭で、68...
滝口寺は、平重盛家臣・滝口入道時頼と建礼門院の侍女・横笛の悲恋の舞台となったお寺。本堂には横笛と滝口入道の比翼の木像が安置され、参道には横笛の歌石がひっそりと立っている。また境内周辺は、平安時代...
和銅4年(711)、聖武天皇の勅願で行基によって創られ、当時は弓削寺とよばれていたと伝えられている。その後天正7年(1579)明智光秀が周山城を築いた時、寺を壊して城の用材としたため廃絶した。現...
天文20年(1551)、僧・祐道の開基と伝えられる。境内には、重要文化財の阿弥陀如来及び両脇侍座像三尊仏が安置されている。また、本堂も丹波路では類を見ない立派なもので、江戸末期から明治にかけて建...
神社期によると、仁寿二年(852)、藤原良房が公詔を受け造営されたと記録されている。また江戸時代には、天神社として天神を祀っていたこともある。境内には本殿のほか、拝殿、絵馬殿、社務所、式場などの...
2,200余年の昔、秦の始皇帝の家来の徐福は、皇帝の命をうけ、不老不死の薬草を探す航海に出て、やがて新井崎に漂着した。この神社は、その徐福を氏神として祀り、海上安全と漁業の神として信仰を集めてい...
本殿、庫裏、山門などに囲まれた境内は静かな緑陰につつまれ、禅味ゆたかな寺。寺伝では足利直義が足利基氏の娘のために建てたといい、また一説では足利尊氏が延文二年(1357)に夢窓国師を開山として創始...
日本海を望む景勝の地に建ち、日本標準時子午線東経135度の最北の地をしるす塔。網野町の頭文字の「A」をデザイン化したステンレス製の塔で、高さは5.5m。電源には太陽電池を使用し、日本標準時とグリ...
かつて木津川はよく氾濫を起こし、長いあいだ人々に大きな被害を与え続けてきた。惣墓(共同墓)五輪塔は、木津川の氾濫で亡くなった人々の供養のために鎌倉時代の正応5年(1292)に建立されたものと思わ...
泉橋寺は別名「橋寺」とも言われ、僧行基が五畿内(山城・大和・摂津・河内・和泉)に造営した四十九院のひとつ。境内にある石造地蔵菩薩坐像は鎌倉時代につくられたもので、高さは約4.58m。丸彫の石仏と...
約1千年前、東大寺の僧・平崇上人が開いた寺院。十一面観音立像や日光・月光菩薩立像など多くの文化財が宝物殿に安置されている。また、本堂裏には開創千年を記念した巨大壁画「禅定寺平成大涅槃図」が描かれ...