西陣くらしの美術館 冨田屋
国の登録有形文化財の町家を見学いただき、古くからつちかわれたしきたりの話をお楽しみください。「生きた町家」に触れることができます。また、ご希望に応じて、着物の着付けやお茶席、伝統弁当も体験いただ...
国の登録有形文化財の町家を見学いただき、古くからつちかわれたしきたりの話をお楽しみください。「生きた町家」に触れることができます。また、ご希望に応じて、着物の着付けやお茶席、伝統弁当も体験いただ...
本坊の「雪の庭」は松永貞徳の造営で、清水寺成就院の「月の庭」、北野天満宮の「花の庭」とともに、雪月花三庭苑と呼ばれる。紀州道成寺ゆかりの「安珍・清姫の鐘」を所蔵、展示している。
日本音楽の源流とされる大原魚山声明の発生地として知られる寺。毎週日曜日、希望者には午後1時から本堂で声明を聞くことができる。 〈写経・法話〉9時~15時おつとめ~写経~おつとめ~法話所要時間/約...
天文20年(1551)、僧・祐道の開基と伝えられる。境内には、重要文化財の阿弥陀如来及び両脇侍座像三尊仏が安置されている。また、本堂も丹波路では類を見ない立派なもので、江戸末期から明治にかけて建...
南丹市日吉町の中央部にあり、慶雲年間(704~708)の創始と伝えられている。現在の本殿は、宝暦5年(1755)の二間社流造りの建物で、丹波地方最大級の規模を誇っている。また、国の無形民俗文化財...
三光国師(孤峰覚明)の開山による禅寺。 四季を通じて花を楽しむ事ができ、初秋には境内一面に萩の花が咲く。観音堂格天井は福知山城の舞殿に使用されていたと伝えられ百花百鳥が色鮮やかに描かれている。
創建は天平7年(735)聖武天皇が大仏造立平安祈願のため、良弁僧正に命じて建立させたのが始まりと伝えられるが、焼失し鎌倉時代に解脱上人により中興された。五重塔は、鎌倉時代の傑作で国宝に指定されて...
天平16年(744)に恭仁京が廃都。その大極殿は山城国分寺に施入の後、跡地は金堂として使用され、あわせて七重塔や境内鎮守社なども整えられた。そのため全国でも稀な二つの重要遺跡が複合することになる...
国道163号を木津川にそって登っていくと、和同開珎の鋳造跡がある。和同開珎は我が国の古い貨幣として知られ、直径25ミリ、和・同・開・珎の4文字が刻まれている。
かつては紙幡寺、加波多寺ともいわれていた蟹満寺は、白鳳期の末期に建てられた。本尊の銅造釈迦如来坐像は白鳳期の秀作で国宝に指定されている。「今昔物語集」や「古今著聞集」に登場する“蟹の恩返し”の縁...
境内には、枯れることなく名水を注ぐ「朧泉(おぼろのいずみ)」がある。春にはヤマブキ、冬にはカンツバキが楽しめる。
妙楽寺境内にある蕪村句碑は、昭和元年(1926)、「宇治行」の原本発見を記念して建てられたもの。蕪村は、天明3年(1783)、田原村の門人から招待され、この地を訪れたといわれている。このときの紀...
1,600年前の古代空間を復元した歴史公園。国史跡「蛭子山古墳」「作山古墳」の復元整備を中心とした古代歴史公園。蛭子山古墳は4世紀後半に築造。また、谷ひとつはさんで位置する作山古墳は5基の中形古...
西光寺庭園は江戸時代後期につくられ、江戸八景の一つ葛飾の「行徳帰帆」の風情を模したと伝えられる庭園で、静かな池と枯山水的石組が落ち着いた佇まいを残している。(京都府指定有形文化財)
聖武天皇の皇子・安積親王がこの地に葬られ、その冥福を祈るため、行基が創建したと伝わる。秋は紅葉が美しい。
鶏冠井町大極殿にある南真経寺は日蓮宗の寺院で、鎌倉時代末期に、日像上人の布教により村人のすべてが日蓮宗に改宗した信仰の中心地。もとは南真経寺と北真経寺は一つの寺で、現在の北真経寺の位置にあったが...
江戸時代、廻船問屋として栄えた三上家住宅は豪商元結屋金兵衛の屋敷で、宮津藩受け取りの際、山陰道鎮撫使西園寺公望の本陣にもなった名家。白壁、虫籠窓、腰板の調和が美しく、城下町宮津の面影を残す貴重な...
中世の豊富庄の総社。三間社流造りの本殿は、約500年前の室町時代後期、文亀2年(1502)頃に建立された建物。昭和62年(1987)6月に国の重要文化財に指定された。
東福寺塔頭。明徳元年(1390)岐陽方秀(ぎようほうしゅう)によって創建。日露戦争時、ロシア人の捕虜が東福寺全体に1,500人おり、当院にも当時50人、明治38年(1905)3月24日から11月...
細川忠興公・ガラシャ夫人生誕450周年を記念して平成25年11月、カトリック宮津教会に隣接する大手川ふれあい広場中央に建立されました。波乱万丈の生涯の中で、自ら信念を貫いた細川ガラシャ夫人が「祈...
天神社は、「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」に記載されている式内社(しきないしゃ)である。明応2年(1493)に社殿が造営され、宮寺・中性院がおかれていた。しかし中性院は、明治維新の...
建築年代など不詳。記録によれば、中世に天満宮と称した時期もあったが、明治6年(1873)村社となり、明治10年(1877)に延喜式内咋岡神社と決定、今の社名にあらためたという。境内の巨木・スダジ...
市内最古の神社建築物。毎月第1日曜日には朔日講の神楽が行われることでも有名。本殿は重要文化財。本殿は永享年間の造営といわれ、向拝蟇股(こうはいかえるまた)や木鼻(きはな)などに室町時代の建築様式...
仁徳天皇時代(313年~299年)に現在の地より西方の西峰山頂に創建、宣化天皇元年(535)にこの地に移されたという。延暦12年(793)に大宝天王と朱智天王を同殿にあわせて祀られた。貞観11年...