
三千院
大原の里に荘厳なたたずまいを見せる三千院は、最澄が比叡山延暦寺東塔南谷に草庵を結んだ事に始まる。境内には、優美な国宝阿弥陀三尊を祀る入母屋造柿葺(いりもやづくりこけらぶき)の往生極楽院が建つ。あ...
大原の里に荘厳なたたずまいを見せる三千院は、最澄が比叡山延暦寺東塔南谷に草庵を結んだ事に始まる。境内には、優美な国宝阿弥陀三尊を祀る入母屋造柿葺(いりもやづくりこけらぶき)の往生極楽院が建つ。あ...
西国三十三か所の第17番札所。本堂の背後に建つ文化財収蔵庫(令和館)には平清盛公坐像や念仏を称える口から六体の阿弥陀が現れたと言い伝えられる空也上人像など、美術史上重要な仏像が数多く安置されてい...
嵐山の山腹に立つ真言宗の寺。十三まいりの虚空蔵さんとして有名で3月13日から5月13日まで数え年13歳になった男子と女子が福徳と智恵を授かるために参詣する。参詣後渡月橋を渡り切るまでに後ろを振り...
二年坂は大同2年(807)にできたといわれる石段の坂で、清水から円山公園へと続く。石畳の坂道に格子戸の古い家並みが連なる情景は、まるで京都の縮図版のよう。昔ながらのお土産物屋など小さな店も多く、...
蓮華寺は江戸時代のはじめに加賀前田家の家老・今枝近義によって洛中からこの地に移された。境内には六角形の笠をもつ蓮華寺型石燈篭や石川丈山作の池泉観賞式庭園があり、全体的にしっとりとした情緒が漂う。
壬生寺は、延命地蔵菩薩を本尊とし、991年に創建した律宗寺院で、厄除、開運の寺として庶民の信仰を集めている。境内は保育園や老人ホームなどが建ち庶民的な雰囲気だが、毎年恒例の節分会や重要無形民俗文...
創建当初は仙遊寺と称していたが、建保6年(1218)、伽藍が建立されてからは境内の涌き水にちなんで泉涌寺と改められた。その後間もなく四条天皇の月輪陵が造営され、以来、皇室ゆかりの寺「御寺」として...
明治維新の立役者、坂本龍馬が身を寄せた船宿。文久2年(1862)4月23日討幕急進派がこの寺田屋に結集し決起を企てた「寺田屋騒動」は有名。鳥羽伏見の戦いで罹災しており、現在の建物はその後再建され...
江戸時代、京屋敷を持たない大名の宿舎となった町家で、個人の住居である。大名の身辺警護のための武者隠し、隠し階段や落し階段など敵の侵入を防ぐ巧妙な仕掛けが施されており、国指定の重要文化財となっている。
足利義満によって明徳3年(1392)に建立された相国寺は、竣工までに約10年を費やしたと伝えられている。現存する日本最古の法堂の天井画は、狩野光信筆の「蟠龍図」で、鳴き龍とも呼ばれる。総門をくぐ...
網干場から発展したもので、潮の干満差の少ないこと、山と海に挟まれた狭い土地を利用するうえから生まれた。湾をとり囲み、海にうかぶように、230棟が軒を連ねている景観は見事。昔は、わらぶきの平屋建て...
794年の平安京造営の際に造られた禁苑。桓武天皇を初めとして歴代天皇が行幸され、舟遊び、放隼、釣りなどの宴遊や、詩会、相撲節会、重陽節会などの宮中行事が催された。812年には嵯峨天皇が史実に残る...
青蓮院は天台宗の京都五箇室門跡寺院の一つで、天明8年(1788)の大火により御所が炎上した際、後桜町上皇は御所として青蓮院に避難されたことから粟田御所ともよばれている。比叡山の東塔の青蓮坊が寺の...
「智恵・学問・商才・厄除け」の神様、菅原道真公を祀る。京の台所錦市場を正面に見据え、新京極通に面した繁華街唯一の鎮守社。幻想的に灯る奉納提灯は圧巻。境内には、地下百尺より汲み上げている錦の水があ...
正式には六六山詩仙堂丈山寺といい、寛永18年(1641)丈山隠棲のため詩仙堂を建立、終の棲家と定めた草庵。三十六歌仙にならい中国歴代の詩人36人を選び三十六詩仙とし、狩野探幽・尚信に肖像を描かせ...
森鴎外の「山椒大夫」で有名な安寿姫と厨子王丸の悲しい物語の舞台となった舞鶴。三庄(山椒)太夫のもとから逃げ出そうとした安寿姫は、非業の最期をとげたが、土地の人々によって手厚く葬られ、今もその塚が...
国の重要文化財指定の本殿は昭和56年(1981)10月に修復工事が完了し、極彩色の華麗な社殿に再現された。昭和63年(1988)に棟札とリスとブドウの精巧な彫刻が施された旧脇障子欄間が重要文化財...
無鄰菴は、明治27年~29年(1894~1896)に明治・大正の元老・山縣有朋が京都に造営した別荘である。その大半を占める庭園(面積約3,135平方メートル)は、有朋自らの設計・監督により、造園...
一条通の堀川に架かる、長さ6.2mの小さな橋。平安京当時とその位置は変わっていないといわれている。河竹黙阿弥の歌舞伎・渡辺綱と鬼女の話や豊臣秀吉による千利休の木像の磔けなど、さまざまな伝説と歴史...
白河院は現在、日本私立学校振興・共済事業団の京都宿泊所となっている。庭園は東山を借景とし、琵琶湖疏水を引き入れた池泉回遊式の山水庭園で、作者は7代目小川治兵衛。(通称「植治」)築山や松の大木等を...
客殿からは樹齢700年の京都市指定天然記念物である五葉松が眺められる。庭の名前は盤桓園(額縁庭園)で柱と柱の空間を額に見立てて観賞する。「理智不二」と名付けられた二連式の水琴窟もある。
本堂に九体の阿弥陀如来坐像が横に並んでいることから、九体寺と呼ばれる。本堂、三重塔、九体の阿弥陀如来坐像、四天王立像は、いずれも平安時代のもので、国宝に指定されている。 吉祥天立像開扉 1/1~...
嘉禎2年(1236)に創建され、奈良東大寺と興福寺から一字をとって名付けられた。現在の敷地面積は約24万平方メートルで、京都でもっとも大きな禅寺。通天橋から眺める洗玉澗の渓谷は圧巻で、秋には紅葉...
大山崎地域の産土神として鎮座する、延喜式内社で乙訓地方で最も古い神社です。 江戸時代以前は天神八王子社と呼ばれ牛頭天王を祭神としていました。天王山の名は祭神の牛頭天王の天王から由来しています。 ...