
澤井家住宅
澤井家は、武家の出身で、近世初頭に現在地に住み、江戸時代には尼門跡曇華院の所領を治める代官であった。主屋は、江戸時代中期の元文5年から翌6年(1740~1741)にかけて建て替えられており、尼門...
澤井家は、武家の出身で、近世初頭に現在地に住み、江戸時代には尼門跡曇華院の所領を治める代官であった。主屋は、江戸時代中期の元文5年から翌6年(1740~1741)にかけて建て替えられており、尼門...
とんちで知られる一休禅師が、63歳の時に復興させた寺。名勝地に指定されている方丈庭園や重要文化財に指定されている本堂がある。方丈庭園は松花堂昭乗、佐川田壽六、石川丈山の合作によるもので、「三作の...
天龍寺の東に建つ開山堂で、建武2年(1335)、後醍醐天皇が第2皇子・世良親王の菩提を弔うために建てられた。嵐山のにぎわいにもおかされず静寂さを保つ境内には枯山水の龍華三会の庭があり、その奥には...
祟神天皇の時代、四道将軍丹波道主命が出雲より八知矛神(大国主命)を迎えて神谷の地に祀り、道主命亡き後、人々がこれを追幕し現在地に神社を創建し、道主命所有の「国見の剣(くにみのつるぎ)」を神霊とし...
2号棟(舞鶴市政記念館) 縄文から現代に至る舞鶴のあゆみを紹介するコーナーや喫茶コーナー、レンタサイクルがある。3号棟(まいづる智恵蔵) 土産物販売コーナーなどがある。4...
江戸時代初期・華やかな寛永文化の中心となって活躍した松花堂昭乗(1584~1639)ゆかりの庭園。約2万平方メートルの広大な庭園は、草庵「松花堂」、書院などの文化財が露地庭や枯山水とともに趣のあ...
法然上人の弟子、住蓮と安楽の二僧を供養するために創建された寺。後鳥羽上皇の寵愛を受けた姫、松虫と鈴虫は、住蓮と安楽の説法で尼僧になるが、上皇の怒りにふれ、二僧は死罪となってしまう。境内には住蓮、...
勝林院は、顕真法印が浄土宗の開祖法然上人を請じ、称名念仏によって人々が極楽に往生することができるかどうかというテーマで天台宗等各派の学僧たちと議論をたたかわせた「大原問答」の舞台となった寺。総ケ...
芭蕉の高弟、俳人向井去来の草庵跡。庭は俳句の花の庭と呼ばれ、四季折々の花が咲く。裏の墓地には去来墓がある。
南禅寺塔頭。応永年間(1394~1428)に北山に創建された寺を徳川家康の政治顧問以心崇伝が移築されたもの。「鶴亀の庭」とよばれる方丈前庭庭園は、江戸時代初期の代表的な枯山水庭園で知られ、中央に...
高瀬川は、慶長年間、当時の豪商・角倉了以が物資輸送のために鴨川の水を引いて開いた運河。この川で用いる舟を高瀬舟といった。二条から五条にかけて7つの船入り(荷物の積みおろしをするための船だまり)が...
1367年(貞治6年)に室町幕府管領の細川頼之が宗鏡禅師を招いて建立した臨済禅の寺院。勧請開山は夢窓国師で、一休禅師が幼少時を過ごした寺でもある。境内が広く竹林で覆われていることから竹の寺とも称...
〈坐禅会〉坐禅・法話(要予約)〈写経会〉毎月18日(5/18は休み)
平安京造営にあたり、木材を山国の郷より徴せられたことから、この郷を御杣御料地(木材を切り出す所)と定め、宝亀年間(770~780)本殿が建てられた。山里にひっそりと建っているが、毎年10月第2日...
重要文化財の本殿は、室町時代の文安5(1448)年に建てられた現存する市内最古の木造建築。一間社流造で、檜皮葺屋根の正面に千鳥破風が付く。「城陽市名木・古木」にも選ばれた木々など緑の美しい参道は...
和銅2年(709)に建てられた神社で、鍬山大明神とも矢田神社とも呼ばれている。昔このあたり一帯が泥湖であったのを、祭神の大己貴命が鍬で請田峡を切り開いて水を流し耕作田として民に穫りをあたえた。そ...
大阪の八百屋半兵衛に嫁いだお千代は、姑に嫌われ半兵衛が帰省中に実家の上田(植田)村に帰らされてしまう。お千代を迎えに来た半兵衛だったが義母(姑)への恩とお千代への愛情とに苦悩し、遂には「あの世で...
明治29年(1896)にフランスのルイ・ルラーブ神父が建てた天主堂。外観はフランス風、堂内は畳敷きでそれを囲むパリ製のステンドグラスが幻想的で美しい。
泉涌寺の塔頭の一つで、参拝客にお茶の庭でお抹茶の接待をしている。
「茶房前田」は、二条城内にある茶室「和楽庵」に店舗を構えております。 「和楽庵」は、高瀬川一之船入にあった約300年の 歴史をもつ角倉了以の屋敷の一部と、その庭園の池石約800個を元にして作られ...
高雄山中腹に立つ神護寺は真言宗の遺迹本山で、密教寺院有数の名刹。境内には書院や五大堂、毘沙門堂、大師堂、金堂など優れた建築物が建ち並んでおり、金堂の西にある地蔵院では厄除けの‘かわらけ投げ’が楽...
大師堂や密厳堂など江戸時代の建築が大部分を占める智積院の見どころは、大書院の東に広がる池泉回遊式の庭園と宝物館。館内には国宝の障壁画が数多く収められているが、とくに長谷川等伯とその子・久蔵が描い...
隨心院は、美人の代名詞にもなっている小野小町が晩年を過ごしたところとされ、1,000通の恋文を埋めたという文塚やその恋文でつくられたという小町文張地蔵、化粧に使った井戸など、小町ゆかりの遺跡が残...
京都五花街のひとつで、長さ550m、幅2m足らずの通り。英語のポイント(先)やポルトガル語のポント(尖り)が語源で、先の細い道を表している。昔ながらの料亭やお茶屋さんが建ち並び、四条河原町のにぎ...