
白山神社
市内最古の神社建築物。毎月第1日曜日には朔日講の神楽が行われることでも有名。本殿は重要文化財。本殿は永享年間の造営といわれ、向拝蟇股(こうはいかえるまた)や木鼻(きはな)などに室町時代の建築様式...
市内最古の神社建築物。毎月第1日曜日には朔日講の神楽が行われることでも有名。本殿は重要文化財。本殿は永享年間の造営といわれ、向拝蟇股(こうはいかえるまた)や木鼻(きはな)などに室町時代の建築様式...
久美浜町の東方、静かな山間に建つ。本堂の右手には、新しい収蔵庫があり、回廊でつながっている。正面3間、側面4間、宝形造り、銅板かやぶきの本堂は、桃山期の作風を残している。収蔵庫内の用明天皇の皇子...
三光国師(孤峰覚明)の開山による禅寺。 四季を通じて花を楽しむ事ができ、初秋には境内一面に萩の花が咲く。観音堂格天井は福知山城の舞殿に使用されていたと伝えられ百花百鳥が色鮮やかに描かれている。
「奥山に 紅葉ふみわけ 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋はかなしき」この歌を詠んだ猿丸大夫を祀る。三十六歌仙の一人に数えられているが、謎の人物。この地は、大夫晩年隠棲の土地とも伝えられている。また、猿...
南山城の最高峰である鷲峰山(682m)は役行者によって開かれたといわれ、古来吉野と並び称される山岳宗教の拠点として栄えた。現在は山頂付近の金胎寺境内が国史跡に指定され、山頂からは遠く琵琶湖まで見...
鎌倉時代に成立したという説話集「宇治拾遺物語」には、大海人皇子(後の天武天皇)が吉野から大津への道中に宇治田原に立ち寄ったという話が収録されており、宇治田原の南地区がその舞台とされている。他にも...
社伝によると天下五剣と謳われ現在国宝に指定されている「童子切 安綱」を造った刀匠・伯耆安綱と稲荷の神・宇迦之御魂様が山ノ井の水を用い、名刀「髭切」「膝丸」を造った場所と伝わり、幕末の地誌「男山考...
「山崎の聖天さん」と人々から厚い信仰を受けている寺。境内にある建物は禁門の変の余波で焼亡し、今日見る建物は明治になって再建されたもの。 桜と紅葉の名所で、境内東側には昭和初期に植えられた桜が多くある。
宇治川沿いに建つ宇治神社は、古くは離宮八幡宮(桐原日桁宮(きりはらひげたのみや))と称し、祭神は応神天皇の皇子莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)とされている。三間社流造りの本殿(重文)は鎌倉時代に...
貞観元年(859)の創建。奈良大安寺の僧行教が宇佐八幡神を勧請したのが始まり。嵯峨天皇の離宮があったところから、この名がつけられた。中世には商業組織の「座」の中でも最大の「油座」の本拠地がおかれ...
石台に乗り股の間からのぞく股のぞきで有名。股のぞき発祥の地ともいわれる。ケーブルカーまたはリフトで登る。天橋立が地上から天に右上がりにかかっているように見えるという美しさは何とも神秘的で、天橋立...
江戸時代、廻船問屋として栄えた三上家住宅は豪商元結屋金兵衛の屋敷で、宮津藩受け取りの際、山陰道鎮撫使西園寺公望の本陣にもなった名家。白壁、虫籠窓、腰板の調和が美しく、城下町宮津の面影を残す貴重な...
狸谷山不動院は、250段の石段を登った瓜生山の山頂近くに桓武天皇勅願の不動尊を祀ったのが起こりとされている。御本尊咤怒鬼(たぬき)不動明王が他抜きに転じて、商人、芸能人、スポーツ選手の信仰が厚く...
弘法大師が十一面観音像を安置したのが始まりと伝えられる。西国三十三所の第十五番札所として知られているが、不動明王や毘沙門天の信仰もあり、頭痛封じ、頭の観音さんの寺として古くから民衆の信心を集めて...
等持院は足利家の菩提寺として知られ、霊光殿には足利歴代将軍の木像が安置されている。方丈(本堂)北側には、衣笠山を借景とした芙蓉池と東側に心字池、ともに池泉回遊式庭園がある。夢窓国師の作庭として伝...
古代、山城と近江を結ぶ官道として整備された「田原道」は、たびたび歴史の舞台となってきた。沿線には宇治田原独特の干し柿「古老柿」発祥伝説の舞台・禅定寺などの旧跡が多い。「維中前」バス停にはコース案...
「文博店」は、国の重要文化財「京都文化博物館別館」内に店舗を構えております。店内は、1906年に竣工された旧日本銀行京都支店の金庫室であり、重たげな照明や分厚い扉が金庫室の面影を物語ります。歴史...
京都三熊野の一つ。神木の梛はかつて紀州熊野詣でや伊勢参宮などの際に禊の木として用いられていたといわれる。現在も「あらゆる苦難をなぎ倒す」ことで信仰を集めている。また、裏手の若王子山山頂市営の墓地...
仁和寺の東側にあり、土用に行われる「きゅうり封じ」で知られている。深草の石峰寺とともに石仏群の双璧としても有名で、五智如来のほか11体の石仏が境内に並んでいる。
寺町通りの一本東の通りで、たくさんのおみやげ屋さんが建ち並ぶ。修学旅行生のメッカとしても名高いところ。繁華街だが妙心寺や安養寺など古いお寺が散在していて、これがいかにも京都らしい光景。
昭和3年(1928)武田五一氏の設計により、大阪毎日新聞社京都支局ビルとして建築された。バルコニーの形状や玄関左右のランプカバーの意匠に、アール・デコの影響が認められ、意匠史の上からも注目に値す...
紅葉の名所として知られる寺。10月下旬から11月末までの間、食堂として建てられた客殿を特別公開する。なお、本堂は徳川5代将軍綱吉の生母、桂昌院の寄進により建てられた。
明治から大正期に活躍した七宝家で、帝室技芸員・並河靖之(1845~1927)の旧邸を「並河靖之七宝記念館」として公開している。国内外の博覧会で数多く受賞し、評価を得た並河靖之が最後まで手放さなか...
泉涌寺塔頭。本尊の阿弥陀如来坐像と二十五菩薩坐像はともに藤原時代の作。とくに菩薩像は弥陀来迎の歓喜の姿をしており、秋の二十五菩薩練供養(毎年10月第3日曜日)には多くの参拝者でにぎわう。また本堂...