
縣神社
平等院のすぐ南にある縣神社の祭神は、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)。縁結び、安産の神としてよく知られている。また、毎年6月5日に行われる縣まつりは、昼ごろから通りにびっしり露店が並び...
平等院のすぐ南にある縣神社の祭神は、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)。縁結び、安産の神としてよく知られている。また、毎年6月5日に行われる縣まつりは、昼ごろから通りにびっしり露店が並び...
明治29年(1896)にフランスのルイ・ルラーブ神父が建てた天主堂。外観はフランス風、堂内は畳敷きでそれを囲むパリ製のステンドグラスが幻想的で美しい。
〈府立丹後郷土資料館〉国の史跡、丹後国分寺跡に建てられた府の施設で、丹後地方を中心とする考古資料、歴史資料、民俗資料を多数所蔵・展示している。通年の常設展の他、特別展や企画展などを随時開催し、丹...
施設:本堂、持仏、不動堂、愛染堂、風鈴祭り(期間限定)、ひな祭り(期間限定) 体験:写経(要予約)、阿字観(瞑想、要予約)、風鈴絵付け(期間限定)、鯉の餌やり(期間限定)
圓通寺は、その昔、後水尾上皇の幡枝離宮だったところで、修学院離宮の前身。また、一面に青苔がおおう枯山水庭園のかなたには木立を通して比叡山が眺められ、見事な借景式庭園となっている。四季折々の風情が...
天明3年(1783)、臨済宗最初の専門道場、江湖道場として建立された。重要文化財で日本最古と伝えられる達磨大師古尊像が禅堂の聖僧として安置されているので「達磨堂」とも呼ばれている。広大な境内には...
建久2年(1191)開創、同寺は志水家の菩提寺であり、天文15年(1546)には後奈良天皇の勅願寺となる。徳川家康の側室で尾張藩祖・義直の母、お亀の方(相応院)が志水家の娘であったことからゆかり...
〈写経と法話〉写経会。おつとめ~法話~写経。〈護摩焚きと法話〉不動縁日。護摩焚き~法話。所要時間/約1時間〈写経〉随時実施。9時~15時所要時間/約1時間~1時間30分写経 毎日受付(1名~)
重文建築群の大宮キャンパス。龍谷大学は、寛永16年(1639)西本願寺境内に開設した教育施設「学寮」に源を発す。龍谷大学発祥の地である大宮キャンパスは明治12年(1879)竣工の本館をはじめ正門...
桂川西岸に立つ桂離宮は約6万9000平方メートルの敷地を誇る離宮庭園。元和元年(1615)に造営が開始され、完成したのは数十年後。庭園と建築の総合作品として名高い園内には、中央に池が設けられ、そ...
平安時代の初め、この地に湧きでた香水が神社の名前の起こりとされ、地元では「ごこんさん」と呼ばれている。名水百選に選ばれている御香水の人気は高く、現在でも容器持参の人たちが大勢詰めかける。境内には...
〈一日尼僧修行〉女性対象。日にち要相談、10時~15時実施。白衣着替~足香~法衣授与・念珠作製~瞑想・礼拝~昼食~法話・読経~護摩祈祷~成満之証・法名授与定員/約20名(要予約)
二尊院と呼ばれるのは、釈迦如来と阿弥陀如来の二体の仏像を本尊とするため。境内には伏見城の薬医門を移した総門をはじめ、堂々とした建物がいくつも建ち並び、角倉了以・伊藤仁斎など名家・文人・学者のお墓...
客殿からは樹齢700年の京都市指定天然記念物である五葉松が眺められる。庭の名前は盤桓園(額縁庭園)で柱と柱の空間を額に見立てて観賞する。「理智不二」と名付けられた二連式の水琴窟もある。
船山の南麓、木々におおわれた閑静な高台に立つ。承応2年(1653)、現本堂が南禅寺の金地院から移築。方丈は伏見城の遺構の血天井があり、伏見城の御成殿とよばれていた建物を本堂としている。方丈前庭の...
天神社は、「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」に記載されている式内社(しきないしゃ)である。明応2年(1493)に社殿が造営され、宮寺・中性院がおかれていた。しかし中性院は、明治維新の...
2,200余年の昔、秦の始皇帝の家来の徐福は、皇帝の命をうけ、不老不死の薬草を探す航海に出て、やがて新井崎に漂着した。この神社は、その徐福を氏神として祀り、海上安全と漁業の神として信仰を集めてい...
国道163号を木津川にそって登っていくと、和同開珎の鋳造跡がある。和同開珎は我が国の古い貨幣として知られ、直径25ミリ、和・同・開・珎の4文字が刻まれている。
約1千年前、東大寺の僧・平崇上人が開いた寺院。十一面観音立像や日光・月光菩薩立像など多くの文化財が宝物殿に安置されている。また、本堂裏には開創千年を記念した巨大壁画「禅定寺平成大涅槃図」が描かれ...
郷之口は宇治田原への西側の入口にあたり、かつては織田信長の命で山口甚介秀康が「山口城」を築城し、郷中の郷士層を集めて城下町を形成した。郷之口本町から隣接する贄田地区まで東西に「信楽街道」が横断し...
戦国時代に細川幽斎・忠興親子が築いた田辺城趾に整備された史跡公園。当時の天守石垣や本丸石垣が残る。また園内には、細川幽斎をはじめとする歴代城主や田辺城の歴史を紹介した資料館がある。
天王山の山麓、宝積寺のすぐ下にある。中世末に当地の井尻長助が知恩院の徳誉光然を開山に招いて建立した浄土宗の寺。重要文化財に指定されている木造阿弥陀如来立像は鎌倉時代の作。厳かな雰囲気が漂う。
本尊に毘沙門天を祀るところから、“蕨の毘沙門さん”の名で知られている。京都鞍馬寺の僧釈峰延が延暦年間(782~805)に開いたといわれ、足利尊氏の帰依を得て以来足利将軍家の祈祷所として崇拝を受け...
網干場から発展したもので、潮の干満差の少ないこと、山と海に挟まれた狭い土地を利用するうえから生まれた。湾をとり囲み、海にうかぶように、230棟が軒を連ねている景観は見事。昔は、わらぶきの平屋建て...