
実光院
寺院の法要で唱える仏教儀式音楽、声明(しょうみょう)を伝承する学僧の住む寺として建てられた。庭園には多くの草木が植えてあり、四季折々の花を楽しむことができる。特に秋から春まで咲き続ける不断桜は有...
寺院の法要で唱える仏教儀式音楽、声明(しょうみょう)を伝承する学僧の住む寺として建てられた。庭園には多くの草木が植えてあり、四季折々の花を楽しむことができる。特に秋から春まで咲き続ける不断桜は有...
京都芸術大学芸術館は、本学所蔵の4つのコレクションを軸に展示・保存・教育普及を行う博物館です。その主なものは、詩人の宗左近氏寄贈の縄文時代の土器、装身具、土偶などのコレクション257点、考古学者...
推古天皇の御代の頃、小野妹子が隋に行く途中病気になったところ、宇佐八幡宮に祈願し、病気が治った。帰国後、報恩のため宇佐八幡を勧請して創建し、のち備後三郎三宅高徳がこの地に移り住み崇拝したところか...
明治維新の立役者の一人、岩倉具視が元治元年(1864)から慶応3年(1867)まで隠れ棲んだ旧宅「鄰雲軒」があり、室内の観覧ができる。武田五一が設計した展示・収蔵施設である対岳文庫には岩倉具視や...
明治23年(1890)に引かれた琵琶湖疏水は大津と京都を結ぶ舟運ルートとしても利用された。しかし、蹴上と岡崎とではあまりにも標高差があったため、坂道にレールを敷き、台車に舟ごと乗せてこの間を運ん...
京都で唯一の鎌倉時代の庭園(池泉廻遊式)が有名。
本坊の「雪の庭」は松永貞徳の造営で、清水寺成就院の「月の庭」、北野天満宮の「花の庭」とともに、雪月花三庭苑と呼ばれる。紀州道成寺ゆかりの「安珍・清姫の鐘」を所蔵、展示している。
建礼門院が入寺した大原寂光院あたりは「紫蘇の里(しそのさと)」と呼ばれており、その紫蘇の『紫』と京の伝統色である『紫』にちなみ、大原温泉を紫の湯〈ゆかりの湯〉と命名。平成16年(2004)夏に開...
元禄の昔、芭蕉が当寺の鉄舟和尚を訪ね、語り合った芭蕉庵を与謝蕪村が再興した。本堂後丘には、その芭蕉庵、蕪村の墓、句碑がある俳句の聖地。又、舟橋聖一作「花の生涯」や諸田玲子作「奸婦にあらず」のヒロ...
収蔵品は、浅井忠の「武士山狩図」などを含む絵画、彫刻、金工、漆工、染織、陶磁器、建築図面など多岐にわたっている。また、19世紀末~20世紀前半のアール・ヌーヴォー、アール・デコ期のポスターコレク...
圓通寺は、その昔、後水尾上皇の幡枝離宮だったところで、修学院離宮の前身。また、一面に青苔がおおう枯山水庭園のかなたには木立を通して比叡山が眺められ、見事な借景式庭園となっている。四季折々の風情が...
狸谷山不動院は、250段の石段を登った瓜生山の山頂近くに桓武天皇勅願の不動尊を祀ったのが起こりとされている。御本尊咤怒鬼(たぬき)不動明王が他抜きに転じて、商人、芸能人、スポーツ選手の信仰が厚く...
明治16年(1883)、京都府知事の北垣国道は当時東京大学の学生であった田辺朔郎に会い、疏水計画を依頼した。田辺はこれを卒業論文にまとめ明治18年(1885)、卒業と同時に着工し5年がかりで第一...
〈都七福神〉日本最古の都七福神の1つとして有名。
民芸運動の推進者たちの手で開館された資料館。土蔵造りの建物で、日本を中心にアジア各地の焼物、染織、木工などを展示。随時企画展を開催している。
年間を通じて、大原女の変身体験の申込受付を行っている。(前日までに要事前予約)対象者は女性のみ。4才以上の子供衣装有り。(※雨天の場合は中止、詳細は要問い合わせ)原則、1日5名まで対応。それ以上...
琵琶湖疏水記念館は、琵琶湖疏水竣工100周年を記念して平成元(1989)年8月に開館した施設であり、京都の近代化に果たした琵琶湖疏水の役割やその先駆性などを紹介しています。蹴上インクライン上を舟...
京都を中心とした西日本の美術に比重を置き、陶芸、染織、金工、木竹工、ジュエリーなどの工芸品に加え、日本画、洋画、版画、彫刻、写真も幅広く所蔵している。企画展示室で年5回程度企画展を開催するほか、...
大原の北にあり、中国風の山門が変わった印象を与えてくれる。深い緑に覆われているせいか、夏でもひんやりしている。参道の左手には実相の滝があり、古木の楓と絵画のような構図。隠れた紅葉の名所である。
京都大学が研究・教育のために収集した貴重な学術標本とともに研究成果を紹介。考古資料、古地図・古文書や化石・昆虫標本などが展示されている。
二代目野村徳七の収集した美術工芸品のコレクション約1,900点を収蔵。茶道具をはじめ絵画、墨蹟、能装束、能面などを順次公開している。
来迎院の奥、律川の上流にある滝。聖応大師が滝音で声明が乱れるのを恐れて呪文でその音を止めたという伝説があり、滝の名もこれに由来している。実際は岩の表面を白糸をたらすように水が滑り落ちるので音がしない。
一乗寺下り松はその昔、宮本武蔵が吉岡一門と決闘を演じたところといわれている。しかし今では民家が密集し、当時のことを記した「宮本・吉岡決闘之地」と刻まれた石碑のみが残る。
増誉大僧正が寛治4年(1090)に白河上皇より賜った寺で、家並みがつづく築地塀に囲まれるように建つ。現在の建物は延宝4年(1676)再建。修験道の本山として全国の修験者を統括したため、古くは入洛...